Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。

年: 2022年

  • title
    チキンライス
  • date
    2022.08.16

   

何歳になっても、心躍るものがある。

散歩中にたまたま見つけた駄菓子屋さんや、あえて歩道橋を選んだ夜の帰り道。ちょっと遠出した日に出会った、海沿いの道を歩くネコ。

いつもの1日が、いつもよりちょっと良い日に変わる瞬間。10年後も覚えているような劇的な日ではないけれど、今日は私が主人公なのかも、と心が躍る。

ただ、いかんせん食べることが大好きなので、結局は「特大パフェ」とか、「食べ放題」の文字で簡単に心が躍ってしまうけれど。

   

食べることが大好き、ということを差し引いても、何歳になっても私の中で燦然と輝き、心躍らされるのが「お子様ランチ」である。

「お子様」だった頃から心はほとんど成長できていないというのに、気づけば見た目だけ大人になってしまった。「お子様ランチ」という名前に門前払いをくらい、食べたくても食べられない。何歳になっても、チキンライスに刺さっている旗がうれしいのに。

  

Brown Books Cafeには、「大人様ランチ」と称した、チキンライスがある。

綺麗な山を描いて盛られた、どこか昔懐かしい味のチキンライスのてっぺんには、もちろん旗が刺さっている。となりには、優しい甘味のゆでたまごと、しっかり焼いた、食感の楽しいウィンナー。お子様ランチよりシンプルに、じっくり味わって食べる、これぞBBCの「大人様ランチ」。

……なんてかっこつけても、やっぱりこの旗を前にすると、どうしようもなく心が躍って、まだ背丈の小さかったあの頃に戻ってしまう。

子どもの頃に食べていたチキンライスよりうんと素敵で美味しいけれど、母が作ってくれたチキンライスも久々に食べたいな、なんて思いながら。

 

ぜひ、一人一人の思い出と共に、ゆっくりとお時間のあるときに。

BBC staff 渋川

  • title
    想像力は刺激されねばならないのである
  • date
    2022.06.17

イタリアのアーティストでブルーノ・ムナーリという人がいます。

絵本作家、教育者、デザイナーなどさまざまな分野で活躍した人。

「子供の心を、一生ずっと自分の中に持ち続ける!」という精神で、好奇心や想像力の大切さ、そして幼い頃の遊びや記憶がその後の人生にどう影響するか、それが情報を与える周りの大人たちにかかっているのだということを発信しています。

ムナーリはたくさんの書籍や作品を残していますが、「保存されるべきはモノではない」と言います。

大切なのはむしろそのやり方、企画を立てる方法、再びやり直すことができるようになるための柔軟な経験値なのだと。

”好奇心を最大限に利用しよう。
子供は大人たちが何かをやり始めると、何をしているのか知りたがり、後で自分でもやってみたくなるもの。
子供にとって何か教えるには、これが最も近い道のりとなる。
多くの言葉もいらなければ、組み立てる必要もない。
子供はすでにそこにいて、何が起こるかワクワクしているんだから!”

これはきっと子供のためだけのメッセージではないですよね。

好きなことに没頭している人、楽しそうに何かをしている人がいれば、大人だって興味を惹かれるもの。

ワクワクすることは全ての原動力!

頭の中はいつも自由で、柔軟で、準備の整った状態に。

大人になった自分がほんのちょっとでも好きなもの、興味のあるものはなんだろう?

あまり詳しくないからなんて声を小さくする必要はありません。

コーヒーを片手に、ぜひその世界観を覗いてみてほしいアーティストです。

ちなみにムナーリ、子供の心を持ったまま九十歳と超長生きしました。

参考:「ファンタジア」著 ブルーノ・ムナーリ 訳 萱野有美

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chai


  • title
    人生で最高の一杯
  • date
    2022.06.05

当店で年に一度発行している珈琲文芸誌ブラウンブックで、一度だけ、お客様にコーヒーのエピソードを募集し特集を作ったことがあります。

第5号、テーマは「人生で最高の一杯」。

どれだけ集まるかドキドキしていたけれど、予想していたよりもたくさんの、それも素敵なエピソードが集まりました。

子供の頃、両親が淹れてくれたコーヒーの記憶。

小さい頃に行った喫茶店の話。

旅先で飲んだ異国のコーヒー。

飲む機会を失ったと思ったけれど奇跡的に飲むことができた一杯。

大切な人のために淹れる、または大切な人が淹れてくれる毎朝のコーヒー。

趣味のアウトドアで自然に囲まれて飲むコーヒー。

みなさん本当に文章もお上手で、集まったエピソードを読んで真っ先に、そして何より元気と幸せをもらったのはスタッフたちでした。

コーヒーは当たり前の日常の中にある。コーヒーを飲むという単調な行動の傍らには、それぞれの流れ続ける日々がある。いい日もあれば、なんて悪い日なんだろう!って日も。

人生を変えるほどでなくても、その日一日、その瞬間だけでも、何も考えずにただ美味しいと思っていただければ、コーヒーに携わる人たちはこんな嬉しいことはないでしょう。

私が初めてコーヒーを飲めるようになったのは、喫茶店で働き始めた時でした。

店長の、自分の店のコーヒーに対する絶対的な自信と、仕事に対する止まらない情熱が、初めてのコーヒーに付加価値を与えてくれました。

すべての開店準備を終えたら、練習のためにも自分のためにコーヒーを淹れる(淹れても”いい”だったかな)と言う約束がありました。ネルドリップの水をしぼり、サーバーに乗せて、挽きたての粉を入れ、細口のドリップポットから流れ出るお湯をゆっくり、集中して。開店前にひとりで淹れる朝のそのコーヒーが、私には最高の一杯でした。

これからまだまだ出会えるであろう最高の一杯。

ささやかな日常に愛のあるコーヒーを。

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chai

  • title
    コーヒーと恋愛
  • date
    2022.05.16

面白くないわけがない。

昭和の人気作家、獅子文六が描く、男と女とコーヒーをめぐる小説「コーヒーと恋愛」。

深夜のスマホの中から、白いカップに入ったコーヒーのイラストが、表紙の真ん中で誘っています。

amazonのボタンををポチッと押して半月経ったけどなかなか手元に届かない。販売元に連絡をすると、追跡がないのでわからず届かないこともあるかも、返金するのでもし届いたらそのまま受け取ってくださいとのことでしばらく忘れていました。

さらに一ヶ月くらいして、郵便受けの下の折り畳んだ傘の隙間に、黒いビニール袋に包まれた四角いものがぽとりと落ちているのを発見。君はどんな旅路を辿ってきたんだい。

ともかくやっと会えました。

ーお茶の間の人気女優 坂井モエ子43歳はコーヒーを淹れさせればピカイチ。そのコーヒーが縁で演劇に情熱を注ぐベンちゃんと仲睦まじい生活が続くはずが、突然”生活革命”を宣言し若い女優の元へ去ってしまう。ー

(裏面 内容紹介より)

時代はまだテレビが新しかった時代。最初は入り込めるかなと思ったけど・・・これがまあ面白い。

こぽこぽ、まったり、カウンターでの思い出が、なんてふわっとしたコーヒー描写ではなく、豆の種類、当時のコーヒー事情、さらにネル、トルコ式、野外での山賊式(パーコレーターのようなもの?)などの淹れ方、インスタントの時代背景までかなり細かく描いてあるのです。

そして、適当だけど天性にコーヒーを淹れるのがうまい主人公モエ子。コーヒーの味に敏感なヒモの男。茶道ならぬ可否道を目指すコーヒーにのめり込んだ初老の男。それを取り巻く大学教授や落語家、芸術家のこれまたコーヒーにうるさいガヤたち。

日常に起こる些細な大事件に、力強く軽妙に進んでいく主人公やどこか憎めない登場人物たち。

可否道の集まりでうんちくを語る連中に、一人がこっそりインスタントで淹れ、うまいと言わせるところなんかとっても好きな場面です。

人生大切なのはユーモアとコーヒー。

そこそこ長いこの小説を読み終わり、面白さと達成感に浸っていると、あとがきで獅子文六が、好きで飲んでいたコーヒーを小説の題材にした(当時新聞小説として一日の休みもなく書いていた)ことで、にわか勉強のため有名コーヒー店やコーヒー問屋に通いコーヒーを飲みまくったこと、自宅でも濃いのを淹れて飲んでいたら胃の調子がおかしくなり、特に後半は病苦と戦い苦労したことが書いてありました。

そうでしょう。面白いだけでなくこれだけ詳しくコーヒーの内容に触れ、かつそれをいやらしくなく、コーヒーが好きな少々凝りすぎな人たちの日常や会話の中でさらりと描く。プロですね。

あとがきの最後の一行。

「それにしても、コーヒー小説だけは、もうコリた。」

本文通して全ページの中で一番笑いました。

文六先生お疲れ様でした。

みんながこの本を笑って、コーヒーを楽しみながら読むことが、きっと天国の作家へのなによりのブレイクになることでしょう。

「コーヒーと恋愛」獅子文六

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chai

  • title
    「飯尾和樹のずん喫茶」にて
  • date
    2022.04.19

例えば偶然入ったお店があまりにも自分の感性にぴったりだった時。いやもう入る前から、すでに佇まいや気配から好みだ・・・!と気づいてしまって興奮を抑えられないなんてこと、あると思います。

その気持ちを、その興奮を、見事再現してしまったのが「飯尾和樹のずん喫茶」という番組です。

喫茶店が大好きだという「ずん」の飯尾和樹が東京の純喫茶巡りをするという番組なんでございますが(すみませんすっかり気持ちは飯尾です)マスターやママとおしゃべりしたり、おすすめのメニューを食べて喫茶店の時間を過ごします。

わかりやすい駅や名所からスタートし、だんだん路地裏などに入っていってお店を探すわくわく感は、まるで自身が純喫茶巡りをしている気持ちに。たどり着いた店の独特な看板を見た時のときめきと言ったらもうありません。

店に入ると大体マスターやママは御年五十代から七十代くらい。

とある海系の名前の店では飯尾が「船長いますか」とお店に入ると「私です」とマスターが現れる。その後ろにママを見つけ、「あ、じゃあこちらの方は人魚かな」という。

別のヨーロピアン調のお店では、壁に並んだ中世の女性たちの絵画を見ながら、どの女性が好みかをマスターと語り合う。

また別の店の入り口では「あっ食品サンプルなのにラップがしてあるのはなぜだろう」

シングルオリジンのコーヒー豆の並んだメニュー表を見て、「わーサッカーの強い国ばっかりだ」

店の生い立ち、お店を始めたきっかけ、こだわりのポイントなどをおしゃべりするのですが、寡黙なマスター、よくしゃべるマスター、オタクっぽいマスター、前髪をビシッと固めたママ、小さい頃から遊びに来ていた孫が店を手伝っている、などさまざま。

注文前に映し出される味のあるメニュー表を眺めるのも来店している気分になります。

店名も、メニューも、窓も、椅子も、その店によって個性がある。いや個性しかない。

純喫茶は、攻めではなく懐。例えるならポケットの中のマッチや、小銭や、ガムの包み紙、そのバラエティの豊かさが勝負。

純喫茶は、お店とお客さんに気持ちのいい距離感があって、思い立った時にいつでも足を運ベる、約束のいらない友人のよう。シュールで優しい飯尾ワールドは、そんな喫茶店のあり方そのものを映し出します。

フタに花占いのついたコーヒーフレッシュ。

”新しい恋の予感、素直に飛び込んで”

飯尾がそれを見て「今これやったら私人生終わりますね」と言う。

私、もう喫茶店と飯尾に恋してます。

「飯尾和樹のずん喫茶」

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chai