お盆が過ぎたと思ったらすごい雨。モヤっとした空気に雨の音がどうどうと響いている。窓を小さく開けて見ると、雨水が小さな川のように道路の側溝へ流れていく。
夏休みもあと少し。なんにもないこんな日は特に時間がゆっくり過ぎる。
一日中茶碗を洗って、一日中洗濯機を回している気がする。終わったと思ったら大雨に喜んだちびっ子たちが外に飛び出し、30秒で全身びしょ濡れになって帰ってくる。
合間に息子と戦国無双のゲームをやってスカッとするも、終わらない小さな仕事はスローな時間と相まって、なんだか自分の動きまで鈍く感じる。
最近ホラーものを見たがる小学生たち、そして多分怖いものに兄たちより強い幼稚園児と一緒に、テレビでやっていた怪談の録画を観た。涼しくなると思いきや、見続けているとどろーんとして「なんだか空気重いね」と誰かが言い、飽きてやめた。
おばあちゃんちで過ごしたり、初めて海水浴に行ったり、蛍を見たり、懐かしい友達に会ったり、少し遠くに行くぐらいの穏やかな夏だった。
大学で一人暮らしをしている頃は、とにかく自由であることが楽しく、実家に帰っても何か絡め取られるようなもちゃもちゃした空気を感じていた。その「もちゃもちゃ」を、「守られている」と感じるようになったのはいつからだろう。お盆に特にそう感じるのは、本当にご先祖様が帰ってきてるからなんじゃないかと思う。
自分が子供の頃、大きな公園のそばにある、祖父の家からは蝉の声がよく聞こえた。祖父の椅子の後ろの窓では風鈴が鳴っていた。いとこのおじさんが蝉の幼虫を網戸に引っ掛けて、夜に羽化するところをいとこたちと見た。静かで忘れられない光景だ。働いて夏に帰省した時は、祖父と祖母と母と、テーブルを囲んでコーヒーを飲んだ。あの頃はケーキ二個もペロリと食べられたが、今は食べられないな。
少ししゃきっとしたくて、豆を引いて熱いコーヒーを淹れた。ポタポタという音と香りに、少しだけ頭が冴える。
私が「もちゃもちゃ」を感じていた頃に元気だった祖父も祖母も、みんなもういない。親も少しずつ歳をとる。あの頃いなかった子供達が、今は生活の中心になっている。細胞が生まれ変わるように、私たちは続いている。理科の教科書で見たミジンコと同じだ。
暑くて、頭もぼーっとして、空気もむわっとするこんな夏の一日も、飲んだコーヒーの味や音も、ただの小さな細胞のひと時にすぎないかもしれない。それでも、もちゃもちゃと繋がり合うみんなのどこかに、忘れられてもいいくらい小さく残っているといいな。
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Chihiro Oshima