Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。

年: 2022年

  • title
    石井好子とコーヒー
  • date
    2022.04.08

「夕食にしましょうか」

マダムがドアから顔を出した。

夕暮れどき、中庭に向かったアパートの窓には灯がともって、お皿のふれあう音や、こどものカン高い声が、私の部屋までつたわってきた。いまから十年前、パリに着いたばかりの私は、マダム・カメンスキーという白系ロシアの未亡人のアパートに部屋を借りていた。ー

なんとも素敵な情景から始まる、石井好子の「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」というエッセイ。

シャンソン歌手として世界各国で舞台に出演し、帰国後は歌手、エッセイストとして活躍した女性です。 歌を歌う仕事をされていたせいなのか、というのは私の勝手な感じ方かもしれませんが、流れるようなリズムと、ひらがなの使い方が優しい気持ちの良い文章。

食べものや、つくることに対する愛おしさがひしひしと伝わってくるこのエッセイは、当時「暮しの手帖」の編集長だった花森安治に同誌への連載を依頼され、一九六三年に単行本を刊行して以来、一度も絶版になることなく多くの人に読まれている「おいしい本」です。

さてこのエッセイの中でもコーヒーが登場するところを見つけました。

ー高級喫茶店で有名なのは、ルイ十四世風な店がまえをしたマルキ・ド・セヴィニエで、オペラの近くにも、山手ヴィクトル・ユーゴーという所にあり、また、その店に似た高級なお菓子と高級なサンドイッチとお茶、コーヒー、アイスクリームの類しか出さぬ純喫茶店がいくつかある。

(中略)

このような店に来るのは主に有閑マダムで、男性の姿はあまりみられない。九割が女のひとだが、それもいかにも金持ちらしいミンクのコートを着て,しゃれた犬などつれている人種が集まる。しょざいない午後のひとときを、うすいサンドイッチをつまみ、香りの高い紅茶を飲んで、おしゃべりに時をすごす。しかし、ふつうの人々はそのような高級喫茶店よりキャフェを利用する。

どこの街角にもあるガラスばりのキャフェで、冬は暖かいストーブにでもあたりながら、熱気で曇った窓ごしに通りをながめ、安いコーヒーで何時間もねばっている、けだるいのどかさが好きなようだ。

夏は夏で、道路に張りだしたテラスに腰をかけ、ビールでものみながら、のんびりと道ゆく人をながめているのが好きだ。

キャフェのお客は老若男女、学生、子供といろいろだ。甘い飲みものも、またアルコール類も、お菓子もお茶もあり、軽い食事もできる。

キャフェのサンドイッチときたら、うすい品のよいのとは違い、バゲットを三十センチの長さに切り、中を開いてバタをぬってハムやチーズをはさんだごついサンドイッチだ。大きいのを両手でつかみ、バリバリはしから食べてゆくと、パンばかりのどにつかえて、両あごがくたびれてしまう上、わるくすればパンの皮で上あごをむいてしまうことさえある。

このキャフェのギャルソン(給仕)たちは、一杯のコーヒーで何時間粘っても、いやな顔は決してしない。呼ばれないかぎり知らん顔で、気がらくだ。

パリの紅茶がまずいことは前に書いたが、コーヒーもおいしくない。一般的に、朝食にはキャフェ・オ・レと呼ぶ濃いコーヒーに二倍の量のミルクを入れたのを、大きい茶碗で飲むが、キャフェでのむのはエクスプレスかフィルトルだ。

エクスプレスというのは店でわかしたコーヒーだが、フィルトルというのは大変なコーヒーだ。一人前ずついれるコーヒーで、コーヒー茶碗のうえに、コーヒーの粉が入り上から湯をそそいだ濾し器ののったものが出てくるのだが、濾し器がいい加減にできていて、ポタポタとコーヒーが都合よく下の茶碗におちないものが多いのだ。濾し器のフタをとり、手のひらで押して空気を入れようとすれば、手のひらはやけどをせんばかりになるし、やっとポタポタおちてきたコーヒーは冷えてなまぬるい。実にまずいコーヒーなのだが、強情なフランス人はそのいれ方がおいしいときめたので、あくまで苦労して、まずいフィルトル式のコーヒーをのんだりしている。ー

(「紅茶のみのみお菓子をたべて」)

なんとまずいコーヒーとごついサンドイッチの話でしたが、なんだか愛おしさも感じてしまうし、コーヒー片手に誰でも気ままに過ごせるカフェの空間はやはり魅力的です。エクスプレスはエスプレッソで、フィルトルはフィルターまたはネルドリップのことでしょうか。(わからなかったのでご存知の方はご一報ください!)

それからこの章には、「悲しみよこんにちは」のフランソワーズ・サガンなどの翻訳家である朝吹登水子と一緒にアパートに住んでいた頃の話が出てきます。

「おいしいものを食べたい、飲みたい場合は、それだけ手を加え、愛情をそそがなければ駄目なものだ」

彼女の暮らしぶりからそんな印象を持ったそう。長いことパリに住んでいた同居人は、三時のお茶をおいしく飲むため昼食はひかえ目にし、きれいなテーブルかけをかけて一輪の花でも飾り、とても大切な時間として過ごしていたそうです。

最後に、パリのカフェではよく三日月型のクロワッサンが食べられますね。

子供たちの大好きなアンパンマンの絵本に「アンパンマンとみかづきまん」というものがあります。このお話は、ジャムおじさんとバタコさんがクロワッサン星に行き、クロワッサン星のおうさまと、お互いクロワッサンの作り方とアンパンの作り方を教え合うというもの。

おうさまは言います。

「このほしはおうさまがパンをつくることになっているんじゃ。さて、わしのやいたクロワッサンをたべてもらおうかな」

あとがきに、やなせたかしのこんなことばも添えられています。

「クロワッサン星のクロワッサン王は、戦争はしません。国民においしいパンを食べさせる王さまです。クロワッサン星には、国中おいしいものがいっぱいで、アイスクリームの花が咲いていたりする。クロワッサン星はなんだか夢のような星ですが、もしかしたら本当に宇宙のどこかにこんな楽しい星があるかもしれないと思って、この絵本をつくりました。」

世界中のおうさまが、クロワッサン王のようになるといいなぁ。

 

 参考:「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」石井好子

    「アンパンマンとみかづきまん」やなせたかし

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chai

  • title
    時とポニーと
  • date
    2022.03.16

まだ雪の残る晴れた温かい日、久しぶりに祖母の家に行きました。

と言っても祖母は三年前に亡くなり、祖父もその前に亡くなっているので誰もいません。叔父や叔母、母が丁寧に遺品の整理をしながら管理しています。二歳の娘を連れて行くと、誰かいると思ったのか元気よく入って行きましたが、人気がなく静まり返った家の中に、少し戸惑ってしまいました。

雪のロゴマークの製乳会社で働いていた祖父は、とても仕事が好きだったので、家のふとしたところに、まだゆかりのものが見られました。書斎のテーブルには「牛乳読本」という小冊子、キッチンには雪のマークのついたスプーン。少し気難しい感じの祖父でしたが、コーヒー&シガレットをお供に、俳句や仕事の話をする時の生き生きした様子は、子供ながらに見ていて嬉しくなりました。いつもテレビでスポーツ番組がかかっていて、コーヒーと煙の匂いが漂う居間で、祖父が定位置であるソファに腰掛ける姿は、寛ぎを絵に描いたようで嫌いじゃありませんでした。

祖母は料理好きで、習い事の後など遊びに行くと、いつも美味しい手料理を作ってくれました。唐揚げや豚カツ、ポテトサラダなど作ってくれましたが、中でも好きだったのがコーンスープです。ホワイトソースを伸ばした小麦粉のダマが浮かんでいて、モチモチとした食感がたまらなく、大きいダマが入っているとラッキー!でした。いつも笑顔で、食べることが好きで、ふくよかな体型の祖母の作る料理は、本当に美味しかった。少し大きくなってから一人で泊まりに行った時の、朝起きて階段を降りる途中に漂ってきた朝食の焼き魚の匂い、醤油味のおにぎり、今でも思い出せます。

あまり広くない台所には、少し大きすぎるテーブルがあり、食器棚の前の席に誰かが座っている時は、お腹を引っ込めてコップをとりにいかなければなりませんでした。甘いものが好きだった祖父に、お土産にケーキを買っていき、そのテーブルを囲んでみんなでよく食べました。大人はコーヒー、子供は牛乳。インスタントですがコーヒーを作るのを頼まれた時は、分量がよくわからず、入れるのに少し緊張しました。祖父のデミタスは小さく、ポットのお湯がジュボッと入るので、さらにヒヤヒヤしました。後片付けのお皿を洗う音、その時の母と祖母の他愛ない会話まで聞こえてきそうなほど、祖父母の家のことはすみずみまで思い出せます。でも、一歩家の中に入って見ると、そこはもう静かに時が止まっていました。

帰りの車で、なんとなく自分の日常を振り返ってみると、何もしなかったような一日でも、体は汚れるし、爪は伸びるし、家にほこりはたまるし、コーヒーは冷めるし、天気は変わるし、ものは劣化して成長もしていき、時は止まらずに、目に見えないくらい少しずつでも、流れていきます。

生きているっていうことは、止まらないっていうこと。止まらないっていうことは、静のものからみると実はすごいスピードで進んでいるっていうこと。

あの頃は興味がなかったコーヒーも、大人になって祖父母の家を思い出すと、温かな湯気を立てています。それぞれが生活の中でコーヒーを飲んでふうっと一息つく瞬間は、そんな止まらない流れを一時緩やかにしてくれたり、動き出す前の一呼吸のような役割をしてくれていたんじゃないでしょうか。

90年以上止まらずに、動き続けた祖父と祖母の「生」。一休みできた今は、祖父母にも家にも、ゆっくりとお疲れさまを言いたいと思います。

美空ひばりの歌のように、川の流れか何かに身を任せながら、今度は自分が生きている真っ最中なのだということをかみしめていたら、道路脇に突然なぞのポニーが現れ、ギョッとした田舎の帰り道です。

-25-

chai

  • title
    Brown Books cafe 南三条店
  • date
    2022.03.08

絵葉書をもらった

むかしもらった

絵葉書はお店の一部だった

青い壁の一部だった

子どもが登るには斜めすぎる

老人が登るには狭くきしむ

転げ落ちないように

そっとそっと

一歩前進

一歩後退

一歩半進

おへその下をのぞいてみて

ギシギシ

ギイギイ

ギュウギュウ

登ってるんだ

ザラザラ

ガリガリ

ザンザザン

歩いてるんだ

キャラキャハ

ハハハハ

フフフフフ

座ってるんだ

ゴボゴボ

コポコポ

コポポポポ

注いでるんだ

カチャカチャ

ガッチャン

チュ-ルルル

飲んでるんだ

ギュルルン

ホカホカ

ペッタペタ

焼いてるんだ

カチッ

ボワッ

シャ-ッ

洗ってるんだ

窓辺に

チュンチュン

チチチ

パタパタパタ

飛んでくるんだ

そうして

サワサワ

ハラハラ

ポトリ

散ってくんだ

いつかこの音がなりやむまで

何度も

何度も

きっと思い出すんだ

-24-

Mayumi

  • title
    カフェという場所ー17世紀イギリスの場合
  • date
    2022.03.03

今では街のいたるところにあるカフェや喫茶店。皆さんはどんな目的で行くことが多いでしょうか?

17世紀にヨーロッパに伝わったコーヒーは当初、貴族たちが楽しむなど一般的ではありませんでしたが、コーヒーハウスやカフェが登場すると市民階級にも広がり、身近な飲み物になっていきます。

今では紅茶のイメージが強いイギリスも、17世紀は実はコーヒーの国。ヨーロッパで最初にコーヒーハウスの流行を迎えたコーヒー先進国でした。市民たちは政治の話をしたり世間話をしたりする交流の場としてコーヒーハウスをフル活用。

それまで人々が集まる場といえば居酒屋、宿屋など酒を飲ませる店ばかりで、真面目に話していても最後はみんなで酔い潰れていましたが、コーヒーハウスの出現で、シラフどころが飲めば飲むほど頭がスッキリして語り合えるようになりました。一見さんでも常連でも、貧富の差も関係なく入店でき、入場料を先に払って、コーヒーはその都度カウンターにいるおかみさんに頼む方式が一般的。値段も安く、一度入ればさまざまな会話に参加可能で、コーヒー一杯でなんでも学べると評判でした。

その後、立地や店ごとに発展し、仲買人の商談の場になったり、海運交易の保険業が始まったり、コーヒーハウスで得た情報を元に新聞を作り、それをコーヒーハウスのカウンターに置いてもらい多くの読者を得るというスタイルも生まれました。

妻たちが「コーヒーは出生率を低下させる」と抗議のパンフレットを配るほど、男たちは経済、政治、ジャーナリズムの談義に酔い、入り浸り、熱く語り合いました。

今回は17世紀から18世紀のイギリスの「コーヒーハウス」を見てみました。

コーヒーハウス、カフェ、カフェー、喫茶店、珈琲店など、時代や国によっても呼ばれ方は様々。女子禁制だったり、会員制だったり、スタイルも様々。

でも、変わらないのはコーヒーはいつも主役ではなく、さりげないお供です。それでいて静にも動にも力を発揮する手助けをしてくれるという絶妙なポジションが、カフェという場で、コーヒーが求め続けられる理由なのではないかなと思います。

あなたにとってカフェとは?

さぁ明日はどんなカフェに行こう。

参考:「珈琲の世界史」丹部幸博

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chai

  • title
    屋根裏にコーヒーのにおいは流れる
  • date
    2022.02.18

きしむ階段を3階まで登ると、店内のところどころではらくがきねずみたちがお出迎え。

開店し、コーヒーのにおいが染みつくまでに半年がかかったといいます。

ここで過ごした十年間はどんなだったでしょうか?

まるで屋根裏部屋のような本棚に柱、ぼんやりとした照明、古い本や雑貨たち。ほっとしたり、いいアイディアが浮かんだり、友人との他愛ないおしゃべりに癒されたり。コーヒーのにおいと共に、ひとときをこの空間で過ごした人たちが、またそれぞれの日常に帰っていきました。

一から作る大変さ、続けていく大変さを喜びに変えてくれるパワーは、かけがえのない日常の中でふとこのお店を思い出し、足を運んでくださるお客様に他なりません。

どこでも、新しい場所でも、何度でも。

コーヒーへの愛と、夢を追う気持ちは一緒です。

次はどんなわくわくが待っているのかな?

店主とスタッフの汗と涙と鼻水を綺麗に拭ってから笑顔でお迎えします。新店舗開店まであと少し、どうぞ楽しみにお待ちください。

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chai