Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。

年: 2022年

  • title
    自家製レモネード
  • date
    2022.11.03

    

都会的で、きらきらで、最高におしゃれ。

煮詰められた、甘酸っぱい柑子色のシロップをひとすくい。そ〜っと水を注ぐと二層に分かれて、グラスの向こうが透けて見える。

きらきらとした都会的なものに惹かれてしまうのは、海と山しかないような、ちいさな田舎町で育ったからか。遠く離れた母にもいつか飲ませてあげたいな、なんて思えば、陽に当たって透けたグラスの向こうに、母とのちいさなおもいでが、ぼうっと映る。

遠い昔の3月、絨毯もない冷え切った真新しいワンルームで、2人で過ごした3日間のこと。

      

古びた地元の駅から、約300キロの道のり。JRの窓から見える建物が、どんどん高くなっていく。お尻が痛くなってきた頃に届く、「まもなく、終点、さっぽろ」のアナウンス。高校を卒業したら、絶対に都会に住むのだと決めていたのだ。心が躍って、思わず前のめりになる。

3月末、小さなワンルームの中は、ひんやりと冷え切っていた。2枚重ねた靴下に伝わる、フローリングのごつごつとした無機質な冷たさ。寒くて、殺風景で、生活感のない、真新しいにおいがする部屋。これから、可愛いピンク色のカーテンと、ふわふわのラグが届くのだ。わくわくする私を見て、「いいなぁ、お母さんもここに住みたい。」と母は羨ましそうに呟いていた。

2日目、家の近くにおしゃれなパン屋さんを見つけた。お金に厳しい母が、珍しくたくさん買ってくれた。見たことも聞いたこともない、カタカナのおしゃれなパンばかり。何から食べようかと、何もない部屋にパンを並べた。「都会には色んなものがあるから、お母さんが出来なかったこと、これからたくさん経験できるよ。」と、また羨ましそうに言っていた。そんなに羨ましいなら、お母さんもこっちに住めばいいのに。と言うと、少し困った顔をしていた。きっと、すこしだけ寂しかった。母も、私も。

    

3日目、母が乗るJRの時間まで、2人で街を歩いた。憧れていた「4プラ」も「PARCO」も、綺麗な店員さんばかりでドキドキして、結局何も買えなかった。母と2人、時間を持て余し、改札の目の前のベンチに座る。

ありがとうもごめんなさいも、言いたいことは沢山あったのに、照れ臭さと、泣いてたまるかという意地がジャマをして、初対面かのような上っ面の会話しかできなかった。母も同じだったのか、案内のアナウンスが流れるとすぐに立ち上がった。そうして、まるで明日また会うかのように、「またね」と手を振って母を見送った。

私と母の、18年間の暮らしが終わった日。離れていく母の背中を、人混みに溶けて見失うまでずっと見ていた。母は、結局一度も振り返らなかった。

    

誰もいない家に帰ると、無性に寂しくなった。まだ何一つ汚れがない綺麗なキッチンには、昨日、母が買ってくれた名前もわからぬパンが、いくつか残っている。私はこれからいつでも食べられるんだから、母にあげればよかった。つめたいフローリングに座ってひとりでパンを食べながら、小さな田舎町での日々を思い出して、わんわんと泣いた。

   

あの日から、気づけばあまりにも長い月日が経った。好きも嫌いも、楽しいもつらいも、両手いっぱい、溢れるくらいの経験をして、気づけば細い階段に行き着いていた。18歳の頃より、少し逞しくなってしまった身体で今日も階段を登り、きらきらと輝くレモネードを作っている。

いつか母がこの階段を登る日が来たら、陽の当たる窓際の席で、向かい合ってレモネードを飲むのだ。そうして、この街で経験した両手から溢れ出るおもいで話を、ひとつずつ、ゆっくり話そう。

忘れたいほどのお酒での大失敗も、今じゃ笑えるひどい恋愛話も、真新しいワンルームであなたを想って一人で泣いた日のことも、遠い遠い小さな田舎町に住む母は、きっと知らないだろうから。

BBC staff 渋川

  • title
    パセオ
  • date
    2022.10.28

 コロナで始まり、コロナで終わる、そんなパセオでの営業でした。

 遡ること2019年11月。台湾買付の商品を山盛りに用意して挑んだパセオでのポップアップショップ。その後2月には店主、急遽アメリカへと買付へ。今思えばコロナ禍の忍び寄る中、この2月に買付に行けたことは本当にラッキーでした。店主の強運に感謝です。そして2020年3月3日、パセオでの本格的な営業を開始しました。
 しかし待ち受けていたのはオープン翌日からの時短営業。そして1ヶ月半にも及ぶ全館休業。
 前代未聞の事態に、このままでは廃業する!とパニックになり店主も私も泣きました。あの時、やれることをやるしかないと不安の中でも前を向いたのは私たちだけではなかったと思うのです。社会全体で不安真っ只中の状況。それでも私たちのことを応援してくれた多くのお客様の存在に救われました。

 営業再開の後も時短営業と休業を繰り返しながら、ひと気の少ない街の中で、かつて日常だった札駅の人通りの賑やかさを思い返したりなどしました。そして1年、2年。ゆっくりゆっくりと、街が息を吹き返していくようでした。

 私の話を少しだけ。

 3月、パセオでの営業が開始。そこから私の店長としての毎日が始まりました。初めて店長という肩書をいただいて、パセオを二年半過ごしました。開店当初からパセオは「店主星川のお店」というのが私の中でひとつ大きな芯としてあって、正直、最初の頃は「店長」なんて呼ばれることにも違和感ばかり。「新人佐藤です~!」なんて言っていた日々はついこないだのことと思っていたというのに! 特に開店してまもなくは周りのスタッフがみんな、自分よりはるかに人生経験豊富な方ばかりということも、その違和感を後押ししていたんだと思います。それがスタッフに、お客様に、「店長」と呼ばれているうちに、次第に、自信を持って返事が出来るようになっていきました。それから、がむしゃらに気がつけば二年半。

 ある日、多忙の星川さんが久しぶりにパセオを訪れて言いました。
「いいお店!店長のお店ですよ!すごいじゃないですか!こんなお店、他にないですよ!」
 いつのまにか、このお店が本当に私の居場所になっていました。走馬灯のように、お客様のお顔だったり、スタッフの顔、お嫁に旅立っていった雑貨たちが思い起こされました。
 とはいえ、がむしゃらにやっていく中で、正直しんどすぎて投げ出したくなることもあったけれど、その度に前を向きなおせたのは、やっぱりお客様の「また来ます」の言葉と笑顔が日々あったからでした。


 2022年9月30日、パセオ閉館。ブラウンブックス&ヴィンテージは、パセオでの営業を終えました。

 雑貨に目をきらきらさせて店内を歩くお客様。お客様と雑貨への愛を語り合うのが楽しくて、どっちのイヤリングの方が似合うだなんて真剣ににらめっこしたり、道行く人に驚かれながら大きな家具をお客様と協力してお車まで運んだり。語りきれないほど本当にたくさんの思い出が詰まったパセオでの二年半でした。

 「いいお店」だと言うなら、お客様やスタッフみんな、関わっていただいた全ての方のおかげでした。こんな素敵なお店で店長をやらせていただいた時間は私の一生の宝物です。本当に、ありがとうございました。

 さぁ、パセオを出たブラウンブックス&ヴィンテージ。まだまだ止まりません。

 またお会いしましょう。

 

パセオ店店長佐藤、あらため後藤

※「移転の挨拶」に加筆修正を加えBrown Page版にしました

  • title
    珈琲道中
  • date
    2022.10.19

或る人問ふ。珈琲道中とは何ぞや。答へて曰く、何でもなし、唯の珈琲好きの膝栗毛なり。

ぺペンペンペンペーン

珈琲が好きで知り合った友人がいます。

北の街、違う喫茶店で働いていた二人。縁あって知り合い、その後偶然、同じ時期に南の方へ移住。それから私はまた地元に戻ったけれど、彼女は今もその土地で生活を続けています。

同じ日本とはいえ、スコールもあれば椰子の木も生えている。地名、方言、微妙なイントネーション、スーパー、朝の情報番組、新鮮なことばっかり。

「珈琲が好き」「B型」という共通点はあれど、仲良くなってそんなに時間も経っていない。そんな私たちが初めての土地でした珈琲をめぐる珍道中は、本当に楽しいものでした。

列車で喫茶店に行くにも「薬院てなんて読むの?」「それよりそこに大きい神社があるから寄って行こう」

知らないものばっかり、面白いものばっかり。目についたところはどこでも立ち寄ってみました。

もう一つの共通点は「直感で生きる」

興味のあるものを見つけると動かずにはいられない。逆に計画を立てるとあんまり上手くいかない。でも上手くいかないのもそれはそれでまた面白い。

全然知らない街の市場にある珈琲屋さん。魚の匂いを通り抜けてたどり着きました。もうそのシチュエーションだけで最高でした。マグカップになみなみ注がれた珈琲の味も最高。

大きなお濠のぐるり、運動コースの向かいにあるスターバックス。マラソンをする人、ベビーカーを押す人、部活動の生徒達。珈琲の香りと自然がいっぱい、こんな環境で部活できるってどゆことよって見てるこっちが勝手にいい気分。

珈琲のレジェンドのお店では興奮を抑えきれず、小さな声で熱く語り合いました。

うさぎカフェを探して歩いていただけなのに、スラム街のようなところに迷い込んだこともありました。

自分たちがどこにいるのか、場所も時間もわからない感覚になったこともありました。

小さなアパートで長ネギを切って鍋をしました。「え、緑の部分って入れていい?」そんなどうってことない会話。そのあと、彼女が珈琲を淹れてくれた手つきと真剣な表情は今も思い出せます。

二人は生きる感覚が似てる。

住む場所が違っても、頻繁に連絡を取らなくても、これから先の道、どこかでまた一緒に何かをする。

多分人に頑張っているとか言われるのはあまり好きじゃないその子は、自分のペースで、納得のいくやり方で日々を過ごしている。

今、自分たちは人生のどのへんにいるのやら、何をしているのやら。弥次さん喜多さん珈琲道中。

あの日寄った神社では「これからも一緒にたくさん珈琲の旅ができますように」と絵馬を書きました。

また会う日まで、お互いのどんな一日にも、珈琲が味方でいてくれるでしょう。

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taiami

  • title
    コポコポ十年
  • date
    2022.10.10

結婚して義実家に行き始めた頃、心細い私を助けてくれたのはコーヒーでした。

といっても、とても優しい義父母ですが、どこに座っていいのかもわからないような未熟者だったので、こんな嫁にあちらの方が困惑されたかもしれません。

ヘラヘラしながらよくわからない返事をし、出してもらったご飯をよく食べるというところだけは褒められ、食後の茶碗洗いはやらなくていいと言うのを真に受けていいのか、やったほうがいいのかわからず、結局中途半端にやったりやらなかったり。食べすぎたお腹をさすってたまにこっそりゲップをしながら、不自然にテレビの方を向いてるようなありさまでした。

そんな時、コーヒーメーカーからコポコポと音がしていい香りが漂ってきて、すごく心が和んだのを覚えています。救いを求めるようにお湯がぽたぽた落ちるのをずっと眺めていました。

私がコーヒーを好きだということを知り、今では家に着く前に淹れておいてくれ、居間に入るとすぐにいいにおいが漂ってきます。「◯◯ちゃんは本当にコーヒーが好きだよなぁ」という義父の言葉は、なんだか嬉しくて、やっぱりヘラヘラしてしまいます。

嫁に来て十年近く経ち、子供が産まれても頼りない。でも十年たってみると、自分の育った環境で当たり前だと思っていたものが当たり前じゃないこと、正しい、正しくないだけではないいろんな考え方があることがわかってきました。

初めのうちは戸惑うこともありましたが、今は、これは義実家の方が素敵だな、と思うところもたくさんあります。もちろんあらためて自分を育ててくれた家族のいいところも、ちょっと独特だったんだなというところも。

なんて悟ったように言いましたが、どっちもありがたさが身に沁みることもあれば、うまくいかずに落ち込んだり、コンチクショーと思うこともあります。煩悩だらけの人間で、全てを受け入れて菩薩のような心でい続けるのはむずかしい。

実家でも義実家でも、いただくコーヒーにはそれぞれの美味しさがある。もともと少ない毛がさらに薄くなったじいちゃん達、目尻が下がって優しい顔になったばあちゃん達と、飲みながら他愛ない話をする時、コーヒーが、みんな元気なうちに孝行しろよと言っているようです。

-36-

taiami

  • title
    彼女の特等席
  • date
    2022.10.01

   

彼女との出会いは、はるか昔に遡る。

近所の公園で、ちいさな段ボールに入って震えていた彼女と目が合ったのは、確か私が、11歳の頃。

   

彼女は、決して人懐っこくなく、愛想もなく、極めて自由だった。

物静かな母と気が合ったのか、彼女はいつも母の近くにいた。毎朝必ずコーヒーを飲む母の隣で静かに佇み、母がカップを置くたびにコーヒーが波打つのを、彼女は時々不思議そうに見つめていた。

母とは正反対の私には滅多に近づかなかったが、私が落ち込んだ日に静かに隣に来てくれたのは、彼女なりの優しさか、はたまた気のせいか、いや、ただストーブの前で暖まりたかっただけか。理由はどうであれ、珍しく私の隣に来てくれたあの日、彼女のおかげで少し気が楽になったのを覚えている。

    

来る日も来る日も母の隣の特等席に座り、カップを置くたびに波打つコーヒーをじっと見つめ、眠くなったら、そのままテーブルの上でまるくなる。まるで時間が止まっているかのように見慣れた光景だったが、段ボールの中で震える彼女を抱きかかえたあの日から、気づけば長い月日が流れていた。

    

彼女はいつから、旅立つ準備をしていたのだろう。

    

突然の知らせを受けて実家に帰ると、遠い昔、買いたてのガラケーで私が撮った、家に来てまもない頃の彼女の写真がテーブルの上に飾られていた。隣には、彼女が好きだったぼろぼろのおもちゃと、お気に入りだった、ちょっと高級なおやつ。

母は、「自分の親が死んだ時より泣いちゃったよ。」と冗談ぽく笑っていたが、本当にそうなのだろうと思った。その日も母は変わらずコーヒーを飲んでいたが、母の隣の特等席は、どれだけ待っても空席のままだった。

寂しげな母の背中は、猫背であることを差し引いても、こころなしか前より丸まっている気がした。彼女の旅立ちと共に、あまりに長い月日の流れを実感し、思わず鼻の奥がツンとする。いつも、湯気が出ているうちにコーヒーを飲み干すせっかちな母が、その日はゆっくりとおもいでに浸るように、冷めきったコーヒーを飲んでいた。

     

翌朝、父も母も仕事で家を出て、ひとりになった。

ふと思い立ち、お湯を沸かして、母がいつも飲んでいる安いインスタントコーヒーの蓋を開けた。適当にスプーンで粉をすくってカップに入れ、お湯を注ぐ。

湯気が立ったコーヒーは、少しお湯を入れすぎたか、なんだか薄く感じた。母がいつも座っている椅子に腰掛け、テーブルに置いた振動で波打ったコーヒーをじっと見つめる。

猫背の私を、母だとうっかり間違えてくれないだろうか。

思ったより薄味になってしまったコーヒーを飲みながら、彼女が旅立ってから何度も繰り返し聴いた歌を口ずさむ。

    

「幽霊になった僕は 明日遠くのきみを見に行くんだ その後はどうしよう きっと君には言えない」

    

コーヒーのにおいに誘われ、今日ばかりは彼女だけの特等席に戻ってきてくれないかと思ったが、やっぱりいいや、とカップを置いた。

彼女は、人に懐かず、飄々とした、自由で気高い猫だった。

きっともう、いつもの散歩コースからは考えられないくらい思いっきり遠出して、今頃ひとり気ままに、旅をしているに違いない。

   

なんだか急に苦味を感じて、母は絶対にいれない、砂糖とミルクをどばどばと入れた。すっかり冷めきった、あまったるいコーヒーを一気に飲み干す。

  

遠出するには絶好の、晴れた朝。

だれもいない家に、私の音痴な歌だけが響いていた。

    

    

引用 「雲と幽霊」ヨルシカ

    

BBC staff 渋川