Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。

カテゴリー: coffee column

  • title
    ちっちゃな親友
  • date
    2021.10.14

喫茶店で働いていた時、出会った女の子がいます。

小さな店だったので、カフェ業務とコーヒー豆の販売を、平日はだいたいひとりでやっていました。一対一で接客をしていると、自然とお客さんとも距離が近くなり、私がブログに書いた本を自分も好きなんだよ、と声をかけてくださったり、話が弾みました。

小さな常連さんも何人かいて、初めてのおつかいで、頼まれたコーヒー豆を買いにきてくれた男の子もいました。男の子越しに、窓の外でお母さんがこちらに会釈してくれた光景は、今も残っています。

その女の子はおばあちゃんと一緒にやってきました。膝小僧には大きな絆創膏。年齢のわりに小柄で、ショートカットの、日に焼けた可愛いらしい顔をしていて、いたずらっぽいけど賢そうな目をクルクルさせて、大人のことなんてお見通しといった感じでした。アイスココアを飲んで足をぶらぶらさせていました。その日はおばあちゃんの陰に隠れてあまり話さず帰りました。

次に来た時、こっそり集めているシールを見せてくれました。だんだん、遊ぼう、と言ってお客さんのいない時に店の前のお花を摘んだり、お昼休みに、二人でフリスビーをやったりしました。雪かきを手伝ってくれたり、泥だんごを作ったり。冬休みの自由研究で作った羊毛のアイスクリームをお店に飾ってくれたこともありました。私の貧しいお弁当を見て、海苔で小さな顔をつけたおにぎりを作ってきてくれたこともありました。とても可愛いという感覚もあったけど、それ以上に、歳の差は関係なく私たちはきっと波長があいました。

だけどだんだん、私は仕事とその子との時間の境目が難しくなってしまいました。今は仕事中だから遊べないんだよ、とはっきり言えなかった。やんわり伝えると、その子は少し考えて「じゃあ忙しくてもお話ができるようにお手紙ポストを作ろう!」と、翌日ミッキーのお菓子の箱に差し出し口を切り抜いて、ポストを作ってきてくれました。その後も、お仕事があるから今はごめんね、売り上げ作らなきゃ!と言うと、「じゃあお客さん連れてくるね!」と、本当に引っ張ってきてくれることもありました。

その時、その子はきっと寂しかった。優しくしてくれる人を、ほっとできる居場所を探していた。誰かに喜んでほしくて一生懸命だった。

その後私は店をやめ、住む場所も変わりましたが、その子とは、おばあちゃんを通じてたまに連絡をとっていました。高校生になり、自分でスマホをもつようになると、好きな人の話や、自分の好きなことの話を教えてくれるようになりました。そしてこの夏、9年ぶりに、その子とおばあちゃんが訪ねてきてくれることになりました。おばあちゃんのおしりの陰から顔を出していたその子が、今度はおばあちゃんを連れて遊びに来てくれました。改札から出てきた19歳の彼女は、すっかりおしゃれなお姉さんになっていて、芯のある眼差しはあの頃のままでした。

今は専門学校へ通い、好きな絵やデザインの勉強をしています。夢に向かって悩むことも、今を一緒に楽しむ仲間や恋人も、若さというたくさんの宝物を抱えています。

当時10歳くらいのその子が、私が何か悩みをぽつりと言った時にかけてくれた言葉が日記にメモしてあります。

「先が見えてるっていうのはほんとに目に見えてるっていう意味じゃなくてね、きっとどこかで神様が合わせてくれてるっていう意味だから、全てにおいて、ちっちは正しい道を歩めるようにどこかで見えてるっていうことなんだ」

こんなに相手を思いやったまっすぐな言葉を、どうやったら言えるんだろう。悩んだり迷ったりした時、何度もこの言葉に助けられています。彼女は当時も今も、私の親友です。

業務用のコーヒーミルからこぼれた、コーヒー粉の匂いが充満するお店の中でパタパタと働いていた時、重いガラスの引き戸を開けて、飛び込んできたあのキラキラの笑顔をなくして、未熟な喫茶店員の回想はありません。

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chai

  • title
    美味しいコーヒーを飲み続けるために
  • date
    2021.09.30

サステイナブルとかSDGsとかよく耳にするようになりました。カタカナの言葉はわかりづらいけれど、好きなものと関連させるなら少しわかるかもしれない。そこで、コーヒーでいう「サステイナブルコーヒー」とはどんなものなのかを知っていきたい思います。

サステイナブルは、「持続可能な」という意味。

持続可能なコーヒー、とは?

熱帯植物であるコーヒーの木は、赤道近くの暖かい地域で育ちます。干ばつや霜など気候に大きく左右され、安定した生産が難しい作物です。近ごろの地球の気候変動により、サビ病などの対応もとても大変です。コーヒーの実を収穫する段階では、特に人手とコストがかかりますし、コーヒーチェリーという赤い果実から、種子を取り出し生豆に加工する段階では、たくさんの水や、エネルギーを使います。さらに、コーヒーチェリーから取り除かれた果皮などの廃棄物、精選で使った排水や、粘質を取るために使った汚染水が出るので、生産者たちは、コーヒーの木を育てるだけでなく、自然を守るために、汚染水の浄化や、使う水の量を減らすなどの努力もしています。

このようにコーヒーの木を植え、育て、収穫し、精選の過程までを担うのが、生産地である開発途上国。焙煎し、主に消費するのが、先進国です。コーヒーは作る場所と飲む場所が遠く離れているため、私たちはあまり生産地のことをイメージすることができません。同じように生産地の方でも、収穫したコーヒーにどのような価値がつき、飲まれ方をしているのかわからない場合も多いそうです。

「持続可能なコーヒー」に話を戻します。

コーヒーに関わるみんなにとって、どういう形が喜びといえるのか。例として

消費者が美味しいコーヒーを飲み続けられる。コーヒーのある時間を楽しめる。

生産者が誇りを持ってコーヒーを作り続けられる。社会保障が充実したり、安心して生活をすることができる。

コーヒーを栽培したり、飲んだりすることで、自然を壊さないよう、動物や植物と共生し続けていくことができる。

次の世代の人たちが、今と変わらず美味しいコーヒーを飲み続けることができる。

SDGs( Sustainable Development Goals)は、それを続けていくための目標を定めたものですが、立場の違う人や、自然の生き物たちと、どこで折り合いをつけるかという、いわば妥協点です。

カップ一杯のコーヒーにどれくらいエネルギーや手間暇がかかっているのか。生産者はそれに見合った報酬を受け取れているのか。そのコーヒーの価値や背景を知らなければ、安さやパッケージでしか、コーヒーを選ぶ基準はなくなってしまいます。私たちがそのような基準で選び続けていると、その需要に応え、生産地でも品質より低価格で大量に生産できるコーヒーを作ることになります。あまりに得られる収入が少ないと、他の作物に転作するなど、コーヒー農園をやめてしまう場合もあります。

農園の中には、渡り鳥や虫など、自然との共生を考えたり、子供たちや女性の勉強の機会を大切にしているところもあります。アヘンの元であるケシの栽培をしていた生産者を立て直すため、国が主体となったプロジェクトで、コーヒー栽培に転作した農園もあります。色々な農園を知るのは面白いです。さまざまな農園が信念を持ち、行動を続けていくことは、とても大変で、同時にやり甲斐のあることなのではないかな、と思います。生産者と消費者、お互いのことを知るのも第一歩ではないでしょうか。

私たちが美味しいコーヒーを次の世代まで届け、飲み続けるためにできること。

10月1日はコーヒーの日です。まずは目の前のコーヒーを美味しい!と一息。その次に、これからのコーヒーのことを少し考えてみるのもいいかもしれません。

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chai

  • title
    ある母ちゃんの珈琲記 vol.2 0時の昆虫のはなし
  • date
    2021.09.22

今年の夏も暑かったですね。

アイスコーヒーがぶ飲みでした。タンブラーに入れて、子どもたちと虫取りに走りました。コーヒーってこんなに持って走るものだっけ。さてさて、今年の夏はこれを書かなきゃ終われません。それは、この夏出会った昆虫たちのことです。

虫っていうのは成長に関わる一人の先生じゃないかというくらい、色々なことを教えてくれました。

深夜の虫カゴの中、ブンブン羽音を立てながらメスを追い回すオスのカブトムシの執念はこわいくらいだったし、前日の夜、一緒に昆虫ゼリーを食べていた対のクワガタが、朝起きるとメスがオスのクワに挟まれて半分首がとれた状態になっていたり。それでもひっくり返って、わずかに手足を動かしながらしばらく生きている。死んだメスは土に埋めたのですが、翌日アリが列になり、カラダを分解して運んでいきました。

カマキリが首を振りながら可愛いらしいく無糖ヨーグルトを食べていたと思ったら、トンボをカマに挟んで頭からむしゃむしゃと食べる、本来の姿も見せてくれました。

以前はハチをみると攻撃されるのではないかと思ったけど、そうっとしていればこわい存在ではなく、野菜や果物が果実をつけるための受粉のお手伝いをしてくれていることもわかりました。

あんなにちっちゃくてパリッと割れてしまいそうな殻のカタツムリが越冬し、三年かけて大人になることにもびっくりしました。ダンゴムシは前と後ろ半分ずつ脱皮すると絵本で読んだけれど、まるっと全身脱いだ皮を発見することもできました。

香川照之の昆虫番組を見て、オニヤンマのオスはメスを探して川の周りをぐるぐる回っているから必ず同じ場所に帰ってくるはずだと、虫あみを握りしめ、逃したオニヤンマを待つ息子の姿がありました。

アゲハの幼虫は、誰がこんな色にしたのかっていうくらいとても鮮やかな緑と黒とオレンジの模様。サナギになる時は、その綺麗な柄の皮が、クシャクシャに脱いだ靴下のように、サナギの先っぽにぶさらがっていました。殻から出てはこれたものの、羽が縮れたまま、広げられなかった子もいました。

生きるパワーはすごい!

彼らには嗜好品なんていらない。短い命をパッと輝かせて生きている。人間はだらだらと生き、コーヒーを飲み、泣いたり笑ったり、虫に比べればたっぷり時間がある。だけどその豊かな感情と、時間があるからこそ、ただコーヒーを飲むということに幸せを感じることができるのかもしれません。だらだらとマグカップを片手に虫カゴを覗いている0時。

来年はどんな夏になるだろう。

chai

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  • title
    図書館のにおい
  • date
    2021.09.10

みなさん図書館は好きですか?

近ごろはカフェが併設されていたり、グリーンがあったり、照明も間接照明のような柔らかい雰囲気だったりとリラックスして過ごせるところも多いですね。

昔からの蛍光灯の似合うような図書館もまたいいです。

子供の頃、夏に図書館にいくと、涼みにきたおっちゃんが本を片手にぐおーと椅子で昼寝をしている光景も見かけました。

椋鳩十の動物シリーズや水木しげるの妖怪図鑑、赤毛のアン、角野栄子の魔女の宅急便も図書館で出会いました。魔女の宅急便は表紙も好きでした。週一回のピアノのレッスンで先生にがっつり怒られた後、母の迎えを待つあいだ近くの図書館にいたことが多かったです。絵本コーナーの緑のカーペットは今も鮮明に思い出せます。

本の最後に挟まっている、今まで借りた人の名前が書いてある貸出カード。新しい本では真っ白なんですが、昔からある本だと若干色あせて黄色くなっていたりする。あのカードを思い出すとなんだかいい匂いがします。ジブリの耳をすませばの映画では、あれが主人公と男の子の出会いですね。図書館の方が名前を書いてくれるというひと手間に、こちらも丁寧に扱わなきゃと感じたことを覚えています。

あらためて当時の図書館に想いを巡らすと、五感で色々なものを感じていたんだなぁと思います。

今、私が住んでいる小さな町では、図書館もそんなに大きくありません。でも読みたい本で在庫がない場合、だいたいの本はリクエストすれば1〜2ヶ月後には近隣の図書館から取り寄せないし購入をしてくれます。

図書館は貸し出し期限があるので、いわゆる積ん読にならずにすみます。この町の図書館のコーヒーの本が豊富になって、いつでも読みたい時に読めたらいいなぁと、本棚のすみっこ私物化計画を企てております。

旅行や外出は制限されてしまいますが、お家で好きなお店の豆を挽いたり、コーヒーのテイクアウトをして、図書館で選んだ本の世界にトリップ!なんていうのも、この秋の楽しい過ごし方ではないでしょうか。

chai

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  • title
    コーヒーのはじまり
  • date
    2021.08.31

今日はコーヒーのはじまりの代表的なお話を二つ。

まず一つ目は、エチオピアの山羊飼いの少年、カルディのお話です。

高原の山羊飼いカルディはある時、野生の赤い木の実を食べて興奮し、日夜騒ぎ回っている山羊の群れを見つけました。貧しくいつも心の晴れなかったカルディ。真似して食べてみると、心の悩み全てが消え去り、最も幸福な山羊飼いとなりました。

後に、同じように山羊を見た修道僧が理由をカルディに尋ね、自らもその効力を実感すると、他の僧にもこの木の実を勧めました。修道院の夜の礼拝では多くの僧が居眠りに悩まされていましたが、それ以来、礼拝ごとにこの黒い飲み物を飲むようになり、睡魔の苦行から救われました。

これはアフリカのエチオピア高原発見説です。エチオピアは、四世紀にアフリカで最初のキリスト教国となったため、キリスト教説とも言います。

しかし、イスラーム圏にはコーヒーの発見や誕生に山羊が役割を果たす話は存在しないといわれています。例外として、ある聖者の播いた山羊のクソからコーヒーの木が育ったというのがあるそうなのですが、これはむしろコーヒー豆が羊のクソに似ているからだというシュールな伝説。

イスラーム圏で広く知られているのは、二つ目の伝説、中東イエメンの町、モカの修行僧オマールのものがたりです。

オマールは、イエメンのモカを襲った流行り病から、彼の祈りで多くの人々を救ったにも関わらず、無実の罪でモカを追放されてしまいました。町を追われたオマールは食べるもののない山中で、一羽の小鳥が陽気にさえずっているのを見つけました。そこには赤い果実をたわわに実らせた喬木が立ち、小鳥はその木の実をしきりについばんでいます。一粒くちにすると大変美味しく、心身に活力を与える効能のあることが分かりました。

オマールは名医としても名高く以前からの患者も彼の元に来ていたので、その者たちにもコーヒーを与え、多くの病人を救ったので、ほどなく罪を解かれ、町に戻ると聖者として末長く尊ばれるようになりました。

これは、イエメンのモカを発祥の地とするイスラム教説です。オマールは実在の人物で、庵やお墓もあるそうです。

ただ、東アフリカが原産地であるコーヒーの木が、イエメンに自生しているという内容に疑問もあり、後にコーヒー交易の中心地となる港町モカのコマーシャリズムではないかとの見方もあります。

紅海を隔てて向き合う、中東のイエメンとアフリカ大陸のエチオピア。熱帯植物であるコーヒーの木が分布する、赤道南北緯25度のコーヒーベルトには、ベトナム、インドネシア、ケニア、メキシコ、グァテマラ、ブラジル、コロンビア、他にもたくさんの産地があります。また、コーヒーベルトから外れても、沖縄など日本でも栽培されている地域もあります。

温かいコーヒーが恋しくなる季節がだんだん近づいてきましたね。

秋の長い夜、世界地図を広げて、今手元にある一杯のコーヒーがどうやってここまできたのか、伝説や産地に思いを巡らせてみるのもいいかもしれません。

(参考)

「コーヒーが廻り世界史が廻る」著・臼井隆一郎

「こうひい絵物語」版画・奥山義人 文・伊藤博

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