一人暮らしで気楽にやっていた頃はいつもその友人の家にいた。
その子が結婚してアパートからマンションに引越し、旦那がいても、子供が産まれても、それは変わらなかった。結婚しても旧姓で呼ぶし、好きな時に出入りし、そこから仕事に行き、朝はねぐせ頭のまま、淹れてもらったコーヒーを飲んだ。面倒くさいから彼女のお母さんが地元から来て泊まった時に使ったという歯ブラシで歯磨きをした。
当時の私は「テミヤゲ」という習慣も知らず、ミスドを買って行ったら割り勘するもんだと思っていた。
赤ちゃんを寝かしつけに別室に行った彼女を見送り、借りたパジャマでくつろぎ龍が如くをやってストレス発散をしていた。
周りより少し早く結婚し子供を産んだ彼女は、「自分は別の国に行ったみたいだ」と言っていた。多分遊び盛りの友人たちと比べて少し寂しい気持ちの、悩みのようなものだったと思うのだけど、私はちんぷんかんぷんで、白いダイニングテーブルを挟んで、コーヒーを飲みながら「ふーん」としか思わなかったし言わなかったと思う。
時間は遡って出会いは高校だった。
わりとクセの強い私の父と、同じくらいクセの強い彼女の父が知り合いで、社交辞令のような感じで話しかけたのがきっかけ。思春期特有の病んでる感じとか、いくえみ綾の漫画や、古着屋とか、そう言うものを共有してダラダラ来たらこうなったという感じだ。
彼女といることで私は「さらけだす」という生き方を覚えた。別に彼女に見せてといわれたわけでもないし、そうしようと誘われたわけでもない。「飾らない」とか「自然体」ともちょっと違う。例えて言うならその辺にただ木が突っ立ってるのと同じ。だから、間違ってちゃんとしようとしてるところを見られると逆に恥ずかしい。木が、「私、木なんですよ」と主張しているようなものだ。
おかげで彼女は私の人生の節目節目に影響しまくっている。
人間関係もそうだし、仕事もそうだし、コーヒーを好きになったのもそう。節目節目で馬鹿みたいにさらけ出している時に、風が吹いて大事なものが私の中にひょいと入ってくる。
多分あの朝飲んでいたコーヒーのカップが白かったから、私は白いカップで飲むのが一番リラックスして美味しい。そして隣だったり、向かい合ったりしていた彼女の目が、いつも私を見透かして、受け入れてくれていたからだと思う。
宅飲みで悪さした次の日の朝は、みんなが帰った後しれっと隠していたつもりだったけど、コーヒーを淹れながら、やっぱり彼女は見透かしていた。
そんな感じで、見透かし受け入れながらも、それとなく私を剪定していく庭師のような力が、彼女にはあるのだろう。
前世では本当に、庭師と木の関係だったのかもしれない。
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Taiami