Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。

カテゴリー: coffee column

  • title
    人生で最高の一杯
  • date
    2022.06.05

当店で年に一度発行している珈琲文芸誌ブラウンブックで、一度だけ、お客様にコーヒーのエピソードを募集し特集を作ったことがあります。

第5号、テーマは「人生で最高の一杯」。

どれだけ集まるかドキドキしていたけれど、予想していたよりもたくさんの、それも素敵なエピソードが集まりました。

子供の頃、両親が淹れてくれたコーヒーの記憶。

小さい頃に行った喫茶店の話。

旅先で飲んだ異国のコーヒー。

飲む機会を失ったと思ったけれど奇跡的に飲むことができた一杯。

大切な人のために淹れる、または大切な人が淹れてくれる毎朝のコーヒー。

趣味のアウトドアで自然に囲まれて飲むコーヒー。

みなさん本当に文章もお上手で、集まったエピソードを読んで真っ先に、そして何より元気と幸せをもらったのはスタッフたちでした。

コーヒーは当たり前の日常の中にある。コーヒーを飲むという単調な行動の傍らには、それぞれの流れ続ける日々がある。いい日もあれば、なんて悪い日なんだろう!って日も。

人生を変えるほどでなくても、その日一日、その瞬間だけでも、何も考えずにただ美味しいと思っていただければ、コーヒーに携わる人たちはこんな嬉しいことはないでしょう。

私が初めてコーヒーを飲めるようになったのは、喫茶店で働き始めた時でした。

店長の、自分の店のコーヒーに対する絶対的な自信と、仕事に対する止まらない情熱が、初めてのコーヒーに付加価値を与えてくれました。

すべての開店準備を終えたら、練習のためにも自分のためにコーヒーを淹れる(淹れても”いい”だったかな)と言う約束がありました。ネルドリップの水をしぼり、サーバーに乗せて、挽きたての粉を入れ、細口のドリップポットから流れ出るお湯をゆっくり、集中して。開店前にひとりで淹れる朝のそのコーヒーが、私には最高の一杯でした。

これからまだまだ出会えるであろう最高の一杯。

ささやかな日常に愛のあるコーヒーを。

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chai

  • title
    コーヒーと恋愛
  • date
    2022.05.16

面白くないわけがない。

昭和の人気作家、獅子文六が描く、男と女とコーヒーをめぐる小説「コーヒーと恋愛」。

深夜のスマホの中から、白いカップに入ったコーヒーのイラストが、表紙の真ん中で誘っています。

amazonのボタンををポチッと押して半月経ったけどなかなか手元に届かない。販売元に連絡をすると、追跡がないのでわからず届かないこともあるかも、返金するのでもし届いたらそのまま受け取ってくださいとのことでしばらく忘れていました。

さらに一ヶ月くらいして、郵便受けの下の折り畳んだ傘の隙間に、黒いビニール袋に包まれた四角いものがぽとりと落ちているのを発見。君はどんな旅路を辿ってきたんだい。

ともかくやっと会えました。

ーお茶の間の人気女優 坂井モエ子43歳はコーヒーを淹れさせればピカイチ。そのコーヒーが縁で演劇に情熱を注ぐベンちゃんと仲睦まじい生活が続くはずが、突然”生活革命”を宣言し若い女優の元へ去ってしまう。ー

(裏面 内容紹介より)

時代はまだテレビが新しかった時代。最初は入り込めるかなと思ったけど・・・これがまあ面白い。

こぽこぽ、まったり、カウンターでの思い出が、なんてふわっとしたコーヒー描写ではなく、豆の種類、当時のコーヒー事情、さらにネル、トルコ式、野外での山賊式(パーコレーターのようなもの?)などの淹れ方、インスタントの時代背景までかなり細かく描いてあるのです。

そして、適当だけど天性にコーヒーを淹れるのがうまい主人公モエ子。コーヒーの味に敏感なヒモの男。茶道ならぬ可否道を目指すコーヒーにのめり込んだ初老の男。それを取り巻く大学教授や落語家、芸術家のこれまたコーヒーにうるさいガヤたち。

日常に起こる些細な大事件に、力強く軽妙に進んでいく主人公やどこか憎めない登場人物たち。

可否道の集まりでうんちくを語る連中に、一人がこっそりインスタントで淹れ、うまいと言わせるところなんかとっても好きな場面です。

人生大切なのはユーモアとコーヒー。

そこそこ長いこの小説を読み終わり、面白さと達成感に浸っていると、あとがきで獅子文六が、好きで飲んでいたコーヒーを小説の題材にした(当時新聞小説として一日の休みもなく書いていた)ことで、にわか勉強のため有名コーヒー店やコーヒー問屋に通いコーヒーを飲みまくったこと、自宅でも濃いのを淹れて飲んでいたら胃の調子がおかしくなり、特に後半は病苦と戦い苦労したことが書いてありました。

そうでしょう。面白いだけでなくこれだけ詳しくコーヒーの内容に触れ、かつそれをいやらしくなく、コーヒーが好きな少々凝りすぎな人たちの日常や会話の中でさらりと描く。プロですね。

あとがきの最後の一行。

「それにしても、コーヒー小説だけは、もうコリた。」

本文通して全ページの中で一番笑いました。

文六先生お疲れ様でした。

みんながこの本を笑って、コーヒーを楽しみながら読むことが、きっと天国の作家へのなによりのブレイクになることでしょう。

「コーヒーと恋愛」獅子文六

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chai

  • title
    「飯尾和樹のずん喫茶」にて
  • date
    2022.04.19

例えば偶然入ったお店があまりにも自分の感性にぴったりだった時。いやもう入る前から、すでに佇まいや気配から好みだ・・・!と気づいてしまって興奮を抑えられないなんてこと、あると思います。

その気持ちを、その興奮を、見事再現してしまったのが「飯尾和樹のずん喫茶」という番組です。

喫茶店が大好きだという「ずん」の飯尾和樹が東京の純喫茶巡りをするという番組なんでございますが(すみませんすっかり気持ちは飯尾です)マスターやママとおしゃべりしたり、おすすめのメニューを食べて喫茶店の時間を過ごします。

わかりやすい駅や名所からスタートし、だんだん路地裏などに入っていってお店を探すわくわく感は、まるで自身が純喫茶巡りをしている気持ちに。たどり着いた店の独特な看板を見た時のときめきと言ったらもうありません。

店に入ると大体マスターやママは御年五十代から七十代くらい。

とある海系の名前の店では飯尾が「船長いますか」とお店に入ると「私です」とマスターが現れる。その後ろにママを見つけ、「あ、じゃあこちらの方は人魚かな」という。

別のヨーロピアン調のお店では、壁に並んだ中世の女性たちの絵画を見ながら、どの女性が好みかをマスターと語り合う。

また別の店の入り口では「あっ食品サンプルなのにラップがしてあるのはなぜだろう」

シングルオリジンのコーヒー豆の並んだメニュー表を見て、「わーサッカーの強い国ばっかりだ」

店の生い立ち、お店を始めたきっかけ、こだわりのポイントなどをおしゃべりするのですが、寡黙なマスター、よくしゃべるマスター、オタクっぽいマスター、前髪をビシッと固めたママ、小さい頃から遊びに来ていた孫が店を手伝っている、などさまざま。

注文前に映し出される味のあるメニュー表を眺めるのも来店している気分になります。

店名も、メニューも、窓も、椅子も、その店によって個性がある。いや個性しかない。

純喫茶は、攻めではなく懐。例えるならポケットの中のマッチや、小銭や、ガムの包み紙、そのバラエティの豊かさが勝負。

純喫茶は、お店とお客さんに気持ちのいい距離感があって、思い立った時にいつでも足を運ベる、約束のいらない友人のよう。シュールで優しい飯尾ワールドは、そんな喫茶店のあり方そのものを映し出します。

フタに花占いのついたコーヒーフレッシュ。

”新しい恋の予感、素直に飛び込んで”

飯尾がそれを見て「今これやったら私人生終わりますね」と言う。

私、もう喫茶店と飯尾に恋してます。

「飯尾和樹のずん喫茶」

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chai

  • title
    石井好子とコーヒー
  • date
    2022.04.08

「夕食にしましょうか」

マダムがドアから顔を出した。

夕暮れどき、中庭に向かったアパートの窓には灯がともって、お皿のふれあう音や、こどものカン高い声が、私の部屋までつたわってきた。いまから十年前、パリに着いたばかりの私は、マダム・カメンスキーという白系ロシアの未亡人のアパートに部屋を借りていた。ー

なんとも素敵な情景から始まる、石井好子の「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」というエッセイ。

シャンソン歌手として世界各国で舞台に出演し、帰国後は歌手、エッセイストとして活躍した女性です。 歌を歌う仕事をされていたせいなのか、というのは私の勝手な感じ方かもしれませんが、流れるようなリズムと、ひらがなの使い方が優しい気持ちの良い文章。

食べものや、つくることに対する愛おしさがひしひしと伝わってくるこのエッセイは、当時「暮しの手帖」の編集長だった花森安治に同誌への連載を依頼され、一九六三年に単行本を刊行して以来、一度も絶版になることなく多くの人に読まれている「おいしい本」です。

さてこのエッセイの中でもコーヒーが登場するところを見つけました。

ー高級喫茶店で有名なのは、ルイ十四世風な店がまえをしたマルキ・ド・セヴィニエで、オペラの近くにも、山手ヴィクトル・ユーゴーという所にあり、また、その店に似た高級なお菓子と高級なサンドイッチとお茶、コーヒー、アイスクリームの類しか出さぬ純喫茶店がいくつかある。

(中略)

このような店に来るのは主に有閑マダムで、男性の姿はあまりみられない。九割が女のひとだが、それもいかにも金持ちらしいミンクのコートを着て,しゃれた犬などつれている人種が集まる。しょざいない午後のひとときを、うすいサンドイッチをつまみ、香りの高い紅茶を飲んで、おしゃべりに時をすごす。しかし、ふつうの人々はそのような高級喫茶店よりキャフェを利用する。

どこの街角にもあるガラスばりのキャフェで、冬は暖かいストーブにでもあたりながら、熱気で曇った窓ごしに通りをながめ、安いコーヒーで何時間もねばっている、けだるいのどかさが好きなようだ。

夏は夏で、道路に張りだしたテラスに腰をかけ、ビールでものみながら、のんびりと道ゆく人をながめているのが好きだ。

キャフェのお客は老若男女、学生、子供といろいろだ。甘い飲みものも、またアルコール類も、お菓子もお茶もあり、軽い食事もできる。

キャフェのサンドイッチときたら、うすい品のよいのとは違い、バゲットを三十センチの長さに切り、中を開いてバタをぬってハムやチーズをはさんだごついサンドイッチだ。大きいのを両手でつかみ、バリバリはしから食べてゆくと、パンばかりのどにつかえて、両あごがくたびれてしまう上、わるくすればパンの皮で上あごをむいてしまうことさえある。

このキャフェのギャルソン(給仕)たちは、一杯のコーヒーで何時間粘っても、いやな顔は決してしない。呼ばれないかぎり知らん顔で、気がらくだ。

パリの紅茶がまずいことは前に書いたが、コーヒーもおいしくない。一般的に、朝食にはキャフェ・オ・レと呼ぶ濃いコーヒーに二倍の量のミルクを入れたのを、大きい茶碗で飲むが、キャフェでのむのはエクスプレスかフィルトルだ。

エクスプレスというのは店でわかしたコーヒーだが、フィルトルというのは大変なコーヒーだ。一人前ずついれるコーヒーで、コーヒー茶碗のうえに、コーヒーの粉が入り上から湯をそそいだ濾し器ののったものが出てくるのだが、濾し器がいい加減にできていて、ポタポタとコーヒーが都合よく下の茶碗におちないものが多いのだ。濾し器のフタをとり、手のひらで押して空気を入れようとすれば、手のひらはやけどをせんばかりになるし、やっとポタポタおちてきたコーヒーは冷えてなまぬるい。実にまずいコーヒーなのだが、強情なフランス人はそのいれ方がおいしいときめたので、あくまで苦労して、まずいフィルトル式のコーヒーをのんだりしている。ー

(「紅茶のみのみお菓子をたべて」)

なんとまずいコーヒーとごついサンドイッチの話でしたが、なんだか愛おしさも感じてしまうし、コーヒー片手に誰でも気ままに過ごせるカフェの空間はやはり魅力的です。エクスプレスはエスプレッソで、フィルトルはフィルターまたはネルドリップのことでしょうか。(わからなかったのでご存知の方はご一報ください!)

それからこの章には、「悲しみよこんにちは」のフランソワーズ・サガンなどの翻訳家である朝吹登水子と一緒にアパートに住んでいた頃の話が出てきます。

「おいしいものを食べたい、飲みたい場合は、それだけ手を加え、愛情をそそがなければ駄目なものだ」

彼女の暮らしぶりからそんな印象を持ったそう。長いことパリに住んでいた同居人は、三時のお茶をおいしく飲むため昼食はひかえ目にし、きれいなテーブルかけをかけて一輪の花でも飾り、とても大切な時間として過ごしていたそうです。

最後に、パリのカフェではよく三日月型のクロワッサンが食べられますね。

子供たちの大好きなアンパンマンの絵本に「アンパンマンとみかづきまん」というものがあります。このお話は、ジャムおじさんとバタコさんがクロワッサン星に行き、クロワッサン星のおうさまと、お互いクロワッサンの作り方とアンパンの作り方を教え合うというもの。

おうさまは言います。

「このほしはおうさまがパンをつくることになっているんじゃ。さて、わしのやいたクロワッサンをたべてもらおうかな」

あとがきに、やなせたかしのこんなことばも添えられています。

「クロワッサン星のクロワッサン王は、戦争はしません。国民においしいパンを食べさせる王さまです。クロワッサン星には、国中おいしいものがいっぱいで、アイスクリームの花が咲いていたりする。クロワッサン星はなんだか夢のような星ですが、もしかしたら本当に宇宙のどこかにこんな楽しい星があるかもしれないと思って、この絵本をつくりました。」

世界中のおうさまが、クロワッサン王のようになるといいなぁ。

 

 参考:「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」石井好子

    「アンパンマンとみかづきまん」やなせたかし

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chai

  • title
    時とポニーと
  • date
    2022.03.16

まだ雪の残る晴れた温かい日、久しぶりに祖母の家に行きました。

と言っても祖母は三年前に亡くなり、祖父もその前に亡くなっているので誰もいません。叔父や叔母、母が丁寧に遺品の整理をしながら管理しています。二歳の娘を連れて行くと、誰かいると思ったのか元気よく入って行きましたが、人気がなく静まり返った家の中に、少し戸惑ってしまいました。

雪のロゴマークの製乳会社で働いていた祖父は、とても仕事が好きだったので、家のふとしたところに、まだゆかりのものが見られました。書斎のテーブルには「牛乳読本」という小冊子、キッチンには雪のマークのついたスプーン。少し気難しい感じの祖父でしたが、コーヒー&シガレットをお供に、俳句や仕事の話をする時の生き生きした様子は、子供ながらに見ていて嬉しくなりました。いつもテレビでスポーツ番組がかかっていて、コーヒーと煙の匂いが漂う居間で、祖父が定位置であるソファに腰掛ける姿は、寛ぎを絵に描いたようで嫌いじゃありませんでした。

祖母は料理好きで、習い事の後など遊びに行くと、いつも美味しい手料理を作ってくれました。唐揚げや豚カツ、ポテトサラダなど作ってくれましたが、中でも好きだったのがコーンスープです。ホワイトソースを伸ばした小麦粉のダマが浮かんでいて、モチモチとした食感がたまらなく、大きいダマが入っているとラッキー!でした。いつも笑顔で、食べることが好きで、ふくよかな体型の祖母の作る料理は、本当に美味しかった。少し大きくなってから一人で泊まりに行った時の、朝起きて階段を降りる途中に漂ってきた朝食の焼き魚の匂い、醤油味のおにぎり、今でも思い出せます。

あまり広くない台所には、少し大きすぎるテーブルがあり、食器棚の前の席に誰かが座っている時は、お腹を引っ込めてコップをとりにいかなければなりませんでした。甘いものが好きだった祖父に、お土産にケーキを買っていき、そのテーブルを囲んでみんなでよく食べました。大人はコーヒー、子供は牛乳。インスタントですがコーヒーを作るのを頼まれた時は、分量がよくわからず、入れるのに少し緊張しました。祖父のデミタスは小さく、ポットのお湯がジュボッと入るので、さらにヒヤヒヤしました。後片付けのお皿を洗う音、その時の母と祖母の他愛ない会話まで聞こえてきそうなほど、祖父母の家のことはすみずみまで思い出せます。でも、一歩家の中に入って見ると、そこはもう静かに時が止まっていました。

帰りの車で、なんとなく自分の日常を振り返ってみると、何もしなかったような一日でも、体は汚れるし、爪は伸びるし、家にほこりはたまるし、コーヒーは冷めるし、天気は変わるし、ものは劣化して成長もしていき、時は止まらずに、目に見えないくらい少しずつでも、流れていきます。

生きているっていうことは、止まらないっていうこと。止まらないっていうことは、静のものからみると実はすごいスピードで進んでいるっていうこと。

あの頃は興味がなかったコーヒーも、大人になって祖父母の家を思い出すと、温かな湯気を立てています。それぞれが生活の中でコーヒーを飲んでふうっと一息つく瞬間は、そんな止まらない流れを一時緩やかにしてくれたり、動き出す前の一呼吸のような役割をしてくれていたんじゃないでしょうか。

90年以上止まらずに、動き続けた祖父と祖母の「生」。一休みできた今は、祖父母にも家にも、ゆっくりとお疲れさまを言いたいと思います。

美空ひばりの歌のように、川の流れか何かに身を任せながら、今度は自分が生きている真っ最中なのだということをかみしめていたら、道路脇に突然なぞのポニーが現れ、ギョッとした田舎の帰り道です。

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chai