Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。

カテゴリー: coffee column

  • title
    彼女の特等席
  • date
    2022.10.01

   

彼女との出会いは、はるか昔に遡る。

近所の公園で、ちいさな段ボールに入って震えていた彼女と目が合ったのは、確か私が、11歳の頃。

   

彼女は、決して人懐っこくなく、愛想もなく、極めて自由だった。

物静かな母と気が合ったのか、彼女はいつも母の近くにいた。毎朝必ずコーヒーを飲む母の隣で静かに佇み、母がカップを置くたびにコーヒーが波打つのを、彼女は時々不思議そうに見つめていた。

母とは正反対の私には滅多に近づかなかったが、私が落ち込んだ日に静かに隣に来てくれたのは、彼女なりの優しさか、はたまた気のせいか、いや、ただストーブの前で暖まりたかっただけか。理由はどうであれ、珍しく私の隣に来てくれたあの日、彼女のおかげで少し気が楽になったのを覚えている。

    

来る日も来る日も母の隣の特等席に座り、カップを置くたびに波打つコーヒーをじっと見つめ、眠くなったら、そのままテーブルの上でまるくなる。まるで時間が止まっているかのように見慣れた光景だったが、段ボールの中で震える彼女を抱きかかえたあの日から、気づけば長い月日が流れていた。

    

彼女はいつから、旅立つ準備をしていたのだろう。

    

突然の知らせを受けて実家に帰ると、遠い昔、買いたてのガラケーで私が撮った、家に来てまもない頃の彼女の写真がテーブルの上に飾られていた。隣には、彼女が好きだったぼろぼろのおもちゃと、お気に入りだった、ちょっと高級なおやつ。

母は、「自分の親が死んだ時より泣いちゃったよ。」と冗談ぽく笑っていたが、本当にそうなのだろうと思った。その日も母は変わらずコーヒーを飲んでいたが、母の隣の特等席は、どれだけ待っても空席のままだった。

寂しげな母の背中は、猫背であることを差し引いても、こころなしか前より丸まっている気がした。彼女の旅立ちと共に、あまりに長い月日の流れを実感し、思わず鼻の奥がツンとする。いつも、湯気が出ているうちにコーヒーを飲み干すせっかちな母が、その日はゆっくりとおもいでに浸るように、冷めきったコーヒーを飲んでいた。

     

翌朝、父も母も仕事で家を出て、ひとりになった。

ふと思い立ち、お湯を沸かして、母がいつも飲んでいる安いインスタントコーヒーの蓋を開けた。適当にスプーンで粉をすくってカップに入れ、お湯を注ぐ。

湯気が立ったコーヒーは、少しお湯を入れすぎたか、なんだか薄く感じた。母がいつも座っている椅子に腰掛け、テーブルに置いた振動で波打ったコーヒーをじっと見つめる。

猫背の私を、母だとうっかり間違えてくれないだろうか。

思ったより薄味になってしまったコーヒーを飲みながら、彼女が旅立ってから何度も繰り返し聴いた歌を口ずさむ。

    

「幽霊になった僕は 明日遠くのきみを見に行くんだ その後はどうしよう きっと君には言えない」

    

コーヒーのにおいに誘われ、今日ばかりは彼女だけの特等席に戻ってきてくれないかと思ったが、やっぱりいいや、とカップを置いた。

彼女は、人に懐かず、飄々とした、自由で気高い猫だった。

きっともう、いつもの散歩コースからは考えられないくらい思いっきり遠出して、今頃ひとり気ままに、旅をしているに違いない。

   

なんだか急に苦味を感じて、母は絶対にいれない、砂糖とミルクをどばどばと入れた。すっかり冷めきった、あまったるいコーヒーを一気に飲み干す。

  

遠出するには絶好の、晴れた朝。

だれもいない家に、私の音痴な歌だけが響いていた。

    

    

引用 「雲と幽霊」ヨルシカ

    

BBC staff 渋川

  • title
    コーヒーは僕の杖
  • date
    2022.09.28

そのタイトルに惹かれ手に取った本は、8歳でアスペルガー症候群と診断され、中学生で学校に行くのをやめる決意をした当時15歳の岩野響くんとそのご両親の、経緯や気持ちを綴ったお話でした。

子供が、無事に、幸せに生きていくことを願わない親はいないと思う。どんなふうに?それは本人が考えることだけど、生きていく、そのベースになる力をつけてやりたいという気持ち。

ご両親のコーヒー好きに影響を受けて自分も好きになったという響くんは、焙煎機を手にいれ焙煎を始めます。最初は焦げた、または生焼けのコーヒーでお父さんとお母さんにも美味しくないと言われていましたが、1年がたつころ「うん、美味しいよ」と言われるようになったそうです。

その後、大坊珈琲店の大坊さんと話すことでコーヒーそのものを体現し、カフェ・ド・ランブルの関口さんの焙煎する姿やオールドコーヒーに魂を揺さぶられ、さらに自分のコーヒーを探し始めます。

焙煎の深さ。コーヒーを飲む人の時間、表情。コーヒーを通して、響さんのイメージしたもの。

そんなある日、お母さんの口から出た「お店やっちゃいなさいよ」の一言。

もともと自作の服で洋品店を営んでいたご両親は、お店の一角を開けてコーヒー店をやることになったのですが、行動力のあるお母さんが先に告知をしオープンまでの時間はなんと三日!

三日間で、ご両親は響くんがびっくりするくらいの手際で、店舗デザイン、照明、テーブル、ガス工事、塗装、コーヒー豆のパッケージまで作ってしまいました。

思いついたことは行動したらほんとうにできてしまうし、行動しなければできない。響くんはあらためて思います。

悩んで、迷って、もがきながら、自信や達成感を少しずつ得ていく、若き焙煎士とその家族。

コーヒーという杖。響くんと家族が見つけた生きていくための道具が、誰にでもあるはずだというメッセージとして、私は受け取りました。

参考:「コーヒーはぼくの杖〜発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの」

著 岩野響・開人・久美子

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Taiami

  • title
    アポロ13号
  • date
    2022.09.05

少しずつ、夜は涼しくなってきました。

今年の十五夜は9月10日、もうすぐですね。

ということで、月とコーヒーが出てくるアポロ13号のエピソードを一つ。

1970年4月13日、アメリカ合衆国、三度目の有人月飛行。

月面着陸を目指していたアポロ13号の酸素タンクに突然破裂が生じました。

事故によりミッション中止を余儀なくされたアポロ13号ですが、宇宙の旅は危機的事態。飛行士たちは深刻な電力と水不足に見舞われました。

少しでも長くエネルギーを保って無事地球に戻るため、電気は切られ、船内は氷点下近くに。

ヒューストンのすべてのスタッフとアポロ13号の乗組員は、可能な限りの手を打ちました。

乗組員が、極度の寒さと不安で戦う中、ヒューストンからは繰り返し、次のようなメッセージが送られたそうです。

「こちらヒューストン。がんばれ乗組員の諸君! 

君たちは今、熱いコーヒーへの道を歩いているのだ!」

結果、 数多くの危機的状況を乗り越え、乗組員全員が無事地球に帰ってくることができました。

全員が帰還できたこの対応の鮮やかさに、

「成功した失敗 (“successful failure”)」「栄光ある失敗」と称えられたそうです。

地球から遠く離れた宇宙の緊急事態という、おそらくこれ以上ない非日常。

コーヒーのある日常までもう少しだというメッセージは、乗組員たちの心を励ましたことでしょう。

コーヒーはいつでも平穏な日常の象徴ですね。

アポロが目指した月を眺めながら、今年の十五夜はお団子とコーヒーで過ごしてみてはいかがでしょうか?

参考:全日本コーヒー協会

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chai

  • title
    想像力は刺激されねばならないのである
  • date
    2022.06.17

イタリアのアーティストでブルーノ・ムナーリという人がいます。

絵本作家、教育者、デザイナーなどさまざまな分野で活躍した人。

「子供の心を、一生ずっと自分の中に持ち続ける!」という精神で、好奇心や想像力の大切さ、そして幼い頃の遊びや記憶がその後の人生にどう影響するか、それが情報を与える周りの大人たちにかかっているのだということを発信しています。

ムナーリはたくさんの書籍や作品を残していますが、「保存されるべきはモノではない」と言います。

大切なのはむしろそのやり方、企画を立てる方法、再びやり直すことができるようになるための柔軟な経験値なのだと。

”好奇心を最大限に利用しよう。
子供は大人たちが何かをやり始めると、何をしているのか知りたがり、後で自分でもやってみたくなるもの。
子供にとって何か教えるには、これが最も近い道のりとなる。
多くの言葉もいらなければ、組み立てる必要もない。
子供はすでにそこにいて、何が起こるかワクワクしているんだから!”

これはきっと子供のためだけのメッセージではないですよね。

好きなことに没頭している人、楽しそうに何かをしている人がいれば、大人だって興味を惹かれるもの。

ワクワクすることは全ての原動力!

頭の中はいつも自由で、柔軟で、準備の整った状態に。

大人になった自分がほんのちょっとでも好きなもの、興味のあるものはなんだろう?

あまり詳しくないからなんて声を小さくする必要はありません。

コーヒーを片手に、ぜひその世界観を覗いてみてほしいアーティストです。

ちなみにムナーリ、子供の心を持ったまま九十歳と超長生きしました。

参考:「ファンタジア」著 ブルーノ・ムナーリ 訳 萱野有美

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chai


  • title
    人生で最高の一杯
  • date
    2022.06.05

当店で年に一度発行している珈琲文芸誌ブラウンブックで、一度だけ、お客様にコーヒーのエピソードを募集し特集を作ったことがあります。

第5号、テーマは「人生で最高の一杯」。

どれだけ集まるかドキドキしていたけれど、予想していたよりもたくさんの、それも素敵なエピソードが集まりました。

子供の頃、両親が淹れてくれたコーヒーの記憶。

小さい頃に行った喫茶店の話。

旅先で飲んだ異国のコーヒー。

飲む機会を失ったと思ったけれど奇跡的に飲むことができた一杯。

大切な人のために淹れる、または大切な人が淹れてくれる毎朝のコーヒー。

趣味のアウトドアで自然に囲まれて飲むコーヒー。

みなさん本当に文章もお上手で、集まったエピソードを読んで真っ先に、そして何より元気と幸せをもらったのはスタッフたちでした。

コーヒーは当たり前の日常の中にある。コーヒーを飲むという単調な行動の傍らには、それぞれの流れ続ける日々がある。いい日もあれば、なんて悪い日なんだろう!って日も。

人生を変えるほどでなくても、その日一日、その瞬間だけでも、何も考えずにただ美味しいと思っていただければ、コーヒーに携わる人たちはこんな嬉しいことはないでしょう。

私が初めてコーヒーを飲めるようになったのは、喫茶店で働き始めた時でした。

店長の、自分の店のコーヒーに対する絶対的な自信と、仕事に対する止まらない情熱が、初めてのコーヒーに付加価値を与えてくれました。

すべての開店準備を終えたら、練習のためにも自分のためにコーヒーを淹れる(淹れても”いい”だったかな)と言う約束がありました。ネルドリップの水をしぼり、サーバーに乗せて、挽きたての粉を入れ、細口のドリップポットから流れ出るお湯をゆっくり、集中して。開店前にひとりで淹れる朝のそのコーヒーが、私には最高の一杯でした。

これからまだまだ出会えるであろう最高の一杯。

ささやかな日常に愛のあるコーヒーを。

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chai