人はいろんな言葉に出会う。
愛犬がたった六歳で旅立ってしまったのは、高校生の時だった。
亡骸を抱いて、父は「ああすればよかった、こうすればよかったって思うこといっぱいあるしょ。そういうことってこれからもあるんだから。今の気持ち忘れるんでない。」と大泣きしながら函館訛りで言った。
子犬の時は可愛がっていたが、大きくなると面倒くさがってあまり散歩にも行かず、十分に愛情を伝えることもしなかった後悔はもうどうにもならない。でも、大事なものがそばにいるのは当たり前のことじゃない。犬と父が教えてくれたことは、それから一日たりとも消えていない。
友達と初めてバーに行った時、「何にもわからないんですけどどんなもの頼んだらいいですか」と聞いたら、マスターが「わからないことはこれからもそうやって素直に聞いたらいいよ。知ったかぶりしてる人には教える気なくなるからさ。」とクールに笑った。
バスの中で数分だけ隣り合わせたおばあちゃん。
私の腕の中でぐっすり眠る赤ちゃんを見て「抱っこできていいねぇ。私は、義母がずっと抱いてたから、ほとんど自分の子供を抱けなかったよ」と微笑みながら言った。
歩調を合わせて歩いたり、ぐずって抱っこしたりしながら歩いてきて、やれやれと乗ったバスだった。こうして重い思いをして抱けることは当たり前じゃないんだなと思った。
そして最後は、コーヒーの仕事に出会った時のこと。本気になれる仕事をしたいともがいている最中だった。面接で、普段コーヒーを飲んでいないことを伝えると、店長が
「じゃあまずはコーヒーを好きになってください」
と言った。この言葉は私に魔法をかけた。
「目の前の仕事を好きになる」
今もその魔法は解けていない。コーヒーだけにはとどまらず、どんな世界もそう見えるようになった。
こういう言葉は、かけてくれた人は覚えているんだろうか。多分覚えていないんじゃないかな。どや顔で言われたら、多分そこまで残らない。お互い通り過ぎるようになにげなく言ったり聞いたりしたから、すっと心の奥に届いた気がする。
これからもどんな出会いがあるかわからないけど、そんな言葉たちは、いつでも道の先を照らしてくれる、強くてあたたかな明かりです。
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Chihiro Taiami