Coffee Column
コーヒーコラム
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。
  • title
    セールスは人間の売り込みである
  • date
    2023年11月13日

このタイトルは、BBCで働いていたころ、お客さんがくれた言葉で、当時のショップカードに走りがきして今も私の財布に入っています。

人が何かに感動したり胸を打たれたりするのはなぜなんだろう。

この前、息子のピアノの発表会があり、あらためてそんなことを考えました。出番の時は緊張しながらも、他の出演者たちの演奏にもとても胸を打たれ、いい時間を過ごしたからです。

可愛らしい衣装に身を包み、はにかんで演奏をする小さな女の子。つっかえながらもマイペースに、弾き終わり堂々と礼をするおじいさん。迫力のある素晴らしい演奏をする青年や先生たち。弾き始める前の空気とか、ピンと糸が張ったような集中力とか。

小さい頃に私もピアノを習っていて、嫌いな練習をしたりしなかったりしていたけど、おかげで一つためになったのは、目の前の演奏をするその人が、どれだけ集中して練習してきたかがわかることです。

表現にも色々な形がある。それは演奏だったり、言葉だったり、文章だったり、仕事だったり、生きざまだったり。コーヒーを一杯淹れることも、だと思います。

だけどそれは表現する手段っていうだけで、やっぱり人の心を動かすのは、その人が表現する前に、日々、作り上げている世界。築いているもの、築きたいと心に強く描いているもの。そういうものは、知らずに表れて、生きている年数も関係なく、動物や植物にも、感動することもあるんじゃないでしょうか。

今年の夏に死んでしまった実家の猫は、死ぬ間際まで生きるという姿を見せてくれました。ものも言わないけれど、胸を打たれ、教えられたことが多かったです。それは姿で、言葉にすると正直、陳腐になってしまいそう。だからうまく言えないけれど、私が生きていく時間の要所要所で、きっとあの姿を思い出すでしょう。

その猫の姿に、もしかして言葉なんかいらないんじゃないか、何かを伝えようとすると、ちょっと変わってしまうんじゃないか、と思いました。

そこで冒頭のお客さんの登場です。

その名はやまさん。蕎麦売りのおじいちゃん。よく、ヨレヨレのつなぎにキャップをかぶって補聴器つけて、フラフラとBBCの前のじゃり道を自転車こいで、何にもしてないのにハーッハッハッ!と笑いながら登場しました。

春には四葉のクローバーをたくさん手帳に挟んで持ってきてくれました。

そんな山さんの言葉

「セールスは人間の売り込みである」

「商売はモノを売るんじゃない。人はモノだけを買うんじゃなくて、”その人”だから買うんだ。お客さんとよくよく話をしてると、例えばこんな音楽が好きだとかこんな本を読んでいるとか、どんなことを感じているとか、そういったことが自然と伝わる。売る人の人間性から、お客さんはモノを買ってくれるんだ。」

もう真顔が笑顔みたいないつもくしゃっとした顔のやまさんの、一瞬目の奥が光ったあのドヤ顔を私は忘れません。

やまさんはそうやって、一度断られたところでも何度も通って世間話なんかをして仲良くなり、お客さんがついてくれたんだそうです。

自分の好きなものや楽しみが、今でも何年後かでも、じわじわっと誰かの感動になっていけたらすごいことだなぁ。そしてそうやって人から滲み出るものも感じられるように、柔らかい感性を磨いていけたらいいなと思う。

今、これを書きながら外はチラチラ雪が降ってきて、雪の中も自転車できてくれていたやまさんの姿を懐かしく思い出しました。

ハーッハッハッ!

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Chihiro Taiami

 

 

  • title
    そんな朝だからこそ
  • date
    2023年10月20日

例えばどんなに忙しい朝でも、コーヒーをドリップして飲みたい時がある。

もっと手早く淹れる方法ならあるのに、そしてそんな朝にはゆっくり味わって飲む時間があるわけでもないのに。

お湯を沸かしてドリッパーにペーパー、それにサーバーとポットに温度計をセット。豆を挽いて、粉を入れる。

とここまでは超スピード。

そこからゆっくりお湯を回し入れる。コーヒーがポタポタと落ちていくこのわずかな時間は、短いけど永遠のようで、宇宙と繋がっているような感じすらする。というとちょっとよくわからない言い方だけど、そのくらい頭と手元は集中して、心は凪いでいる。

いや反対かな?頭と手元は何かに動かされ、心が集中しているのかもしれない。

外界と遮断され時の流れの違う自分の世界にいるという意味では、ドラゴンボールの精神と時の部屋の中のようだ。

何かの本で、日本人がコーヒーの淹れ方で繊細なドリップを好むのは、お茶の文化に通じると書いてあった。

効率や味だけではない、作る過程を楽しむことを大事にしているからだと。なんとなく納得できる。

目で粉の膨らみを

最初の蒸らしで鼻に飛び込んでくる香りを

膨らんだ粉がぷつぷつと小さな泡を立ててはじける音を

五感で味わえること。

それが、コーヒーを手で淹れる楽しさだと思う。

ドリップを始める前にお湯で温めておいたカップに注ぐ頃、もう次のことをしなきゃいけないこともある。それでも満足。

コーヒーは飲むのも楽しい。淹れるのも楽しい。

これもまた一つのコーヒータイム。

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Chihiro Taiami