実家の猫はもう二十歳を過ぎ、いい歳であるはずなのに、これまで健康も見た目もマイペースぶりもほとんど変わらずに来ました。なのでこの猫が歳をとるとか、いつか死ぬということをすっかり忘れていました。
今年の夏、突然、てんかんのような発作を起こし、我を忘れたようにぐるぐる回り始めると、腰を抜かしてぐったりしてしまいました。その後も何度か同じような発作を起こし、尻尾を垂れて急に歩き方もふらふらになってしまいました。
ゴミ箱やテーブルの足など家具を頼りによろよろ。方向を変えようとすると上に大きくそってしまい、背中からどんど倒れます。危うく父の碁盤の角に頭をぶつけそうにもなりました。食欲もなく体も細くなり毛が浮いて、これまでできていたトイレも、辿り着けずに床でしてしまうことも増えました。それでも毎日よろよろと歩き続けていました。
病院からもらった薬をあげながら見守る日々が続きましたが、そろそろだめかなという空気が家族中に漂いました。
もう十月も半ばの暑い暑い日。朝に母から電話がきました。娘を抱えて急いで実家に行くと、猫が座布団の上でぐったりしていました。「大往生だな。幸せな猫だったよ」と父が言い、「いつもの日当たりのいいところで丸まってたと思ったら、口ぱっくり開けてたんだよ」と母が言います。目にも生気がなく、本当にか細く息をしているだけという感じでした。しかし、しばらくすると頭を少し持ち上げ、父が手のひらに餌を載せてあげてみると、ぺろぺろと舐めました。
なんとその日を境にみるみる回復していったのです。
ご飯はむしゃむしゃと食べるようになったし、尻尾もピンとたてて歩きます。よろよろしながら歩いていたのは、リハビリだったようです。わずかな段差も上がれなくなっていたのに、知らないうちに階段を上って、二階のお気に入りの窓で昼寝をしていたりします。
かと思うと、少々ボケたように、ご飯を食べたのを忘れて何度も餌皿の前に座るようになったり、朝一緒に寝ている母の布団におねしょをするようになりましたが、自分で生活ができるくらいには戻りました。そうそう、子供の頃よく企てていた外への脱走計画も、また練り直している節が見られます。
父はペット霊園の資料を集めていたそうです。母と末の弟は、残りの餌をどこかにあげようかと相談していたみたいだし、もう一人の弟は仕事の前に必ず寄り、抱きしめていったそうです。知らないうちに夫も会いにいっていました(弟がたまたま休みで昼寝をしていて、その股間に猫も丸まって寝ていたため、あまり触れなかったみたいですが)。
家族の勝手な思いや計画なんてお構いなく、転んでも転んでもひたすら歩き続け、休養をとり、マイペースを貫いていたその猫の姿に、何年か前に亡くなった祖母のことを思い出しました。ホットミルクに浸した食パン、甘酒、砂糖をかけたトマト、小柄で食は細いけど自分の好きなものだけ食べ、健康で超長生きした祖母。人生(猫生)ひっそりマイペース、好きなように、やりたいように!
毎朝父がコーヒーを飲みながら、新聞を読んだり日記を書いたりしていると、何食わぬ顔でその上にのってくる猫。抱っこしてくれるまで動きません。
拾ってきたので正確な年齢はわからないけれど、家に来てからの歳を考えても、二十歳ということは人間にしたらもう百歳近く。猫またになってもおかしくありません。
「妖怪になってもいいからもう少し一緒にいてほしい」。そう言ったのは弟ですが、家族みんなが弟と同じ気持ちで過ごした夏でした。朝のコーヒーの香りと、日のあたる暖かいソファの上で猫が丸くなっているあの風景は、かけがえのない日常です。
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chai