都会的で、きらきらで、最高におしゃれ。
煮詰められた、甘酸っぱい柑子色のシロップをひとすくい。そ〜っと水を注ぐと二層に分かれて、グラスの向こうが透けて見える。
きらきらとした都会的なものに惹かれてしまうのは、海と山しかないような、ちいさな田舎町で育ったからか。遠く離れた母にもいつか飲ませてあげたいな、なんて思えば、陽に当たって透けたグラスの向こうに、母とのちいさなおもいでが、ぼうっと映る。
遠い昔の3月、絨毯もない冷え切った真新しいワンルームで、2人で過ごした3日間のこと。
古びた地元の駅から、約300キロの道のり。JRの窓から見える建物が、どんどん高くなっていく。お尻が痛くなってきた頃に届く、「まもなく、終点、さっぽろ」のアナウンス。高校を卒業したら、絶対に都会に住むのだと決めていたのだ。心が躍って、思わず前のめりになる。
3月末、小さなワンルームの中は、ひんやりと冷え切っていた。2枚重ねた靴下に伝わる、フローリングのごつごつとした無機質な冷たさ。寒くて、殺風景で、生活感のない、真新しいにおいがする部屋。これから、可愛いピンク色のカーテンと、ふわふわのラグが届くのだ。わくわくする私を見て、「いいなぁ、お母さんもここに住みたい。」と母は羨ましそうに呟いていた。
2日目、家の近くにおしゃれなパン屋さんを見つけた。お金に厳しい母が、珍しくたくさん買ってくれた。見たことも聞いたこともない、カタカナのおしゃれなパンばかり。何から食べようかと、何もない部屋にパンを並べた。「都会には色んなものがあるから、お母さんが出来なかったこと、これからたくさん経験できるよ。」と、また羨ましそうに言っていた。そんなに羨ましいなら、お母さんもこっちに住めばいいのに。と言うと、少し困った顔をしていた。きっと、すこしだけ寂しかった。母も、私も。
3日目、母が乗るJRの時間まで、2人で街を歩いた。憧れていた「4プラ」も「PARCO」も、綺麗な店員さんばかりでドキドキして、結局何も買えなかった。母と2人、時間を持て余し、改札の目の前のベンチに座る。
ありがとうもごめんなさいも、言いたいことは沢山あったのに、照れ臭さと、泣いてたまるかという意地がジャマをして、初対面かのような上っ面の会話しかできなかった。母も同じだったのか、案内のアナウンスが流れるとすぐに立ち上がった。そうして、まるで明日また会うかのように、「またね」と手を振って母を見送った。
私と母の、18年間の暮らしが終わった日。離れていく母の背中を、人混みに溶けて見失うまでずっと見ていた。母は、結局一度も振り返らなかった。
誰もいない家に帰ると、無性に寂しくなった。まだ何一つ汚れがない綺麗なキッチンには、昨日、母が買ってくれた名前もわからぬパンが、いくつか残っている。私はこれからいつでも食べられるんだから、母にあげればよかった。つめたいフローリングに座ってひとりでパンを食べながら、小さな田舎町での日々を思い出して、わんわんと泣いた。
あの日から、気づけばあまりにも長い月日が経った。好きも嫌いも、楽しいもつらいも、両手いっぱい、溢れるくらいの経験をして、気づけば細い階段に行き着いていた。18歳の頃より、少し逞しくなってしまった身体で今日も階段を登り、きらきらと輝くレモネードを作っている。
いつか母がこの階段を登る日が来たら、陽の当たる窓際の席で、向かい合ってレモネードを飲むのだ。そうして、この街で経験した両手から溢れ出るおもいで話を、ひとつずつ、ゆっくり話そう。
忘れたいほどのお酒での大失敗も、今じゃ笑えるひどい恋愛話も、真新しいワンルームであなたを想って一人で泣いた日のことも、遠い遠い小さな田舎町に住む母は、きっと知らないだろうから。
BBC staff 渋川