Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。
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    クリスマスったらクリスマス♪
  • date
    2021.12.12

クリスマスが近くなると本屋さんの絵本コーナーにもとっても可愛いクリスマスの絵本が並びますね。

ツリーの緑や白い雪、サンタさんの赤い服、聖夜の澄んだ黒や紺色、キラキラ光る白や黄色の星など、きれいな色や絵は眺めていても飽きないものばかり。

今回はそんな絵本の中から一冊ご紹介します。

ちょっとシュールでユーモア溢れる貼り絵の、

 

「めがねうさぎのクリスマスったらクリスマス」(ポプラ社)

作・絵せなけいこ

 

クリスマスがだいすきなめがねうさぎのうさこは、

♪クリスマスったら

クリスマス

なんといっても

クリスマス…

と歌いながら今年もサンタさんが来るのを待っています。ところがそのころサンタさんはくまさんのうちで、こぐまたちが眠るための”グーグージュース”をみんな飲んでぐっすり眠ってしまい…こんなお話。

ちょっとおっちょこちょいなサンタさんですね。このお話は、うさこも「ことしの サンタさんは おそいなあ!」と待っているし、かあさんぐまも「あら いらっしゃい いま コーヒーを あげましょう」 とサンタさんに会えるのがふつうのようです。

一年に一度、サンタさんに会えたら…枕元にプレゼントがあるのと同じくらい嬉しいですね。湯気のたつコーヒーカップを二つお盆にのせて戻ってきたかあさんぐまは、ぐっすりねちゃったサンタさんを見つけてびっくり。一年に一度のサンタさんとのコーヒータイムを逃しちゃった!!

せなけいこの絵本によく出てくるおばけも登場し、ドタバタのクリスマスは最高です。

一晩で世界中をかけめぐるサンタさんのために、クッキーとホットミルクを置いておく習慣もありますが、クリスマスイブの夜、サンタさんにあったかいコーヒーを淹れてあげられたら、こんな幸せはありませんね。

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chai

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    BABY DRIVER
  • date
    2021.12.02

ドライブのお供にコーヒーは最高ですが、激しいカーチェイスの合間にもなかなか似合うと思ったのが今回の映画「BABY DRIVER」。

天才的な運転センスを買われ、組織のお抱えドライバーとして現金輸送車や銀行で強盗を働く集団を逃がす主人公BABYは、子供の頃の事故の後遺症の耳鳴りを消すため、四六時中イヤホンで音楽を聴いています。カーチェイスの場面では、たくさん持っているipodの中からその時のテンションで音楽を選び、クイーンの「Brighton Rock」ダムドの「Neat Neat Neat」T.レックスの「Debola」マーサ・リーヴス&ザ・ヴァンデラスの「Nowhere To Run」など名曲かけてぶっ飛ばします!

BABYは愛称で、最後の方まで本名は名乗らないのですが、演じるアンセル・エルゴートは甘く幼い顔立ちに長身で、自分も来世こんなルックスだったらB -A -B -A -Yと名乗ってみたいです。彼は仕事のあとや組織の会議の前、よくコーヒーショップに立ち寄ります。激しい仕事の後、音楽を聴きながらご機嫌でカフェのドアを開ける場面も、テイクアウトの紙カップをトレーに乗せて踊りながら道を歩く場面も絵になります。

ちなみにコーヒーの出てくる場面ではJonathan Richman&ザ・モダンラヴヴァーズの「Egyptian Reggae」やGoogie Reneの「Smokey Joe’s La La」が流れています。

ヒロインの女の子との出会いもカフェです。サーバーに入った半分煮詰まったようなコーヒー。でも、そんなコーヒーもやっぱり美味しそう!

私の母は、お盆のお墓参りの2時間弱のドライブの時、必ず缶コーヒーを持っていきます。コーヒー好きだった祖父へのお土産なのかなんとなく特別なものらしく、新聞紙に包んだお花と蝋燭などの荷物の間から、缶コーヒーを手渡してくれます。

私は運転もそんなに上手くないし音楽も詳しくありませんが、もうちょっと腕をあげてBABY DRIVERの曲を網羅したらカーチェイスにもチャレンジしてみようと思います。

映画を観るときは、ぜひLサイズの紙カップコーヒーと、ピーナッツバターを端までたっぷり塗ったトーストを片手にお楽しみください!

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chai

 

 

  • title
    猫のいる風景
  • date
    2021.11.22

実家の猫はもう二十歳を過ぎ、いい歳であるはずなのに、これまで健康も見た目もマイペースぶりもほとんど変わらずに来ました。なのでこの猫が歳をとるとか、いつか死ぬということをすっかり忘れていました。

今年の夏、突然、てんかんのような発作を起こし、我を忘れたようにぐるぐる回り始めると、腰を抜かしてぐったりしてしまいました。その後も何度か同じような発作を起こし、尻尾を垂れて急に歩き方もふらふらになってしまいました。

ゴミ箱やテーブルの足など家具を頼りによろよろ。方向を変えようとすると上に大きくそってしまい、背中からどんど倒れます。危うく父の碁盤の角に頭をぶつけそうにもなりました。食欲もなく体も細くなり毛が浮いて、これまでできていたトイレも、辿り着けずに床でしてしまうことも増えました。それでも毎日よろよろと歩き続けていました。

病院からもらった薬をあげながら見守る日々が続きましたが、そろそろだめかなという空気が家族中に漂いました。

もう十月も半ばの暑い暑い日。朝に母から電話がきました。娘を抱えて急いで実家に行くと、猫が座布団の上でぐったりしていました。「大往生だな。幸せな猫だったよ」と父が言い、「いつもの日当たりのいいところで丸まってたと思ったら、口ぱっくり開けてたんだよ」と母が言います。目にも生気がなく、本当にか細く息をしているだけという感じでした。しかし、しばらくすると頭を少し持ち上げ、父が手のひらに餌を載せてあげてみると、ぺろぺろと舐めました。

なんとその日を境にみるみる回復していったのです。

ご飯はむしゃむしゃと食べるようになったし、尻尾もピンとたてて歩きます。よろよろしながら歩いていたのは、リハビリだったようです。わずかな段差も上がれなくなっていたのに、知らないうちに階段を上って、二階のお気に入りの窓で昼寝をしていたりします。

かと思うと、少々ボケたように、ご飯を食べたのを忘れて何度も餌皿の前に座るようになったり、朝一緒に寝ている母の布団におねしょをするようになりましたが、自分で生活ができるくらいには戻りました。そうそう、子供の頃よく企てていた外への脱走計画も、また練り直している節が見られます。

父はペット霊園の資料を集めていたそうです。母と末の弟は、残りの餌をどこかにあげようかと相談していたみたいだし、もう一人の弟は仕事の前に必ず寄り、抱きしめていったそうです。知らないうちに夫も会いにいっていました(弟がたまたま休みで昼寝をしていて、その股間に猫も丸まって寝ていたため、あまり触れなかったみたいですが)。

家族の勝手な思いや計画なんてお構いなく、転んでも転んでもひたすら歩き続け、休養をとり、マイペースを貫いていたその猫の姿に、何年か前に亡くなった祖母のことを思い出しました。ホットミルクに浸した食パン、甘酒、砂糖をかけたトマト、小柄で食は細いけど自分の好きなものだけ食べ、健康で超長生きした祖母。人生(猫生)ひっそりマイペース、好きなように、やりたいように!

毎朝父がコーヒーを飲みながら、新聞を読んだり日記を書いたりしていると、何食わぬ顔でその上にのってくる猫。抱っこしてくれるまで動きません。

拾ってきたので正確な年齢はわからないけれど、家に来てからの歳を考えても、二十歳ということは人間にしたらもう百歳近く。猫またになってもおかしくありません。

「妖怪になってもいいからもう少し一緒にいてほしい」。そう言ったのは弟ですが、家族みんなが弟と同じ気持ちで過ごした夏でした。朝のコーヒーの香りと、日のあたる暖かいソファの上で猫が丸くなっているあの風景は、かけがえのない日常です。

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chai

 

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    カフェインの歴史と効能、あれこれ
  • date
    2021.11.12

コーヒーの代名詞とも言えるカフェイン。

カフェインは、植物に含まれる「アルカロイド」という苦み成分の一つです。

一八二〇年ごろ、ドイツの化学者ルンゲがコーヒー豆から取り出したことから、カフェという言葉を含むこの名前になりました。数年後には他の学者がお茶から同じ物質を取り出し、お茶由来であることからテインと名付けられましたが、のちにカフェインに統一されます。

もしルンゲがコーヒー豆から発見するのが少しでも遅かったら、カフェインという言葉は消え、テインの方になっていたかも!?

またルンゲにコーヒーの研究をすすめたのは、文豪ゲーテだったという逸話もあり、彼も大のコーヒー好きだったそうです。

カフェインには興奮作用があり、夜に飲むと眠れなくなるという人がいるのもこのためです。コーヒーの他にも前述したお茶(玉露、紅茶、煎茶、ウーロン茶、番茶)、ココア、コーラ、エナジードリンクなどさまざまな飲料に含まれています。意外にも群を抜いているのが玉露で、コーヒーの二倍以上の量が含まれています。

カフェインの覚醒と興奮の作用を最初にして最大に利用したのが、八世紀の末、メソポタミア地方にあらわれたイスラーム神秘主義のスーフィーと呼ばれる僧侶たちです。スーフィーという名は、もともと羊の毛を指すスーフから来ていると言われ、羊毛の白いマントを身にまとい、荒野で修行に励んでいました。

スーフィーたちにとって夜は神と一体となる神聖な時間。眠らないため、興奮するため、食欲を断つためにコーヒーを飲み、厳しい修行を続けました。コーヒーが世界に広まっていく最初の一ページです。

興奮作用のほかにも、疲労回復、脂肪燃焼、利尿、消化促進、気管支拡張などの作用があることがわかっており、糖尿病予防や、がん、メタボリック症候群なども、コーヒーの効果の研究がすすめられています。

ただし他の食品成分と同じように、過剰な取りすぎはよくありません。妊娠中や胃が荒れている時などは、適量にすることも大切です。

ちなみに浅煎りの豆と深煎りの豆ではどちらがカフェインが多いか? 焙煎の時の熱でカフェインは一部気化するので、焼いている時間の長い深煎りの方がカフェインは少なくなります。しかし気化した分、深煎りの豆の方が軽く、浅煎りの豆の方が重くなるので、実際に豆を計量してコーヒーを淹れる時には、浅煎りでも深煎りでもカフェインの量は変わらないことになります。

 

コーヒーの長い歴史の中では、十七世紀のイギリス、コーヒーハウス通いに夢中になる男性たちに対し、自由な入店が許されなかった女性たちから、こんな抗議が起こったこともありました。

「コーヒーを飲用すると男性の性欲が著しく低下する。全人類絶滅の危機!」

コーヒーにハマった男性たちが妻との時間を怠ってしまったのでしょうか。今のところ人類絶滅はまぬがれているようです。  

 

参考

「コーヒーが廻り世界史が回る」臼井隆一郎

「コーヒー「こつ」の科学」石脇智広

「コーヒーについてぼくと詩が語ること」小山伸二

「コーヒー学検定《上級》金沢大学編」

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chai

  • title
    向田邦子とコーヒー
  • date
    2021.11.03

向田邦子のエッセイの中でコーヒーの出てくるものをさがしていたら、パラパラとめくっているはずが、面白くて結局じっくり読んでしまいました。じっくりだけど、どんどん読めていってしまうのが不思議な、この作家の文章。

向田邦子は、テレビの脚本家、エッセイスト、小説家として活躍しました。飛行機事故で五十一歳で亡くなり、今年で四十年が経ちます。

爆笑問題の太田光が彼女の大ファンで、本を出しています。ラジオ番組で向田邦子の特集をした際の樹木希林のインタビューでは、スタッフが依頼の電話をすると、「向田邦子?話しても良いけど、悪口しか言わないわよ。それでも良いなら聞きにきなさい。ただし、向田を知らない若いスタッフじゃなくて、よく知ってる人をよこしなさい」と言われたとのこと。

それならばと太田光自ら話を聞きにいくと、樹木希林は「仲良くなかったから」「あの方は良い作家でもなんでもなかった」など、”悪口”と言いながら、全て、向田邦子を絶賛しているように聞こえたそうです。太田光が、子供のように憧れ、謙虚に、誉められたい、近づきたい気持ちが伝わる内容でした。

「父の詫び状」というエッセイ集は、昭和の家族の情景が生き生きと描かれています。あとがきで「これは誰に宛てるともつかぬ吞気な遺言状」と当時の自身の病気に触れていますが、その病気のことを母に悟られないため隠していたことを、「そのまま「母への詫び状」になってしまった」と書いています。

その後の「娘の詫び状」の中で、母に病気だったことを告白するシーンがあります。

   ”どうしても今日のうちに白状しておかなくてはならないことがあって、母をコーヒーに誘った。茶の間で喋ると辛気くさくなる。明るい喫茶店なら、私も事務的に切り出せるし、母も涙をこぼしたり取り乱すことなしに受け止めてくれると思ったからである。”

 ”手頃な店を見つけ、向かい合って坐った。七十一歳の母はコーヒー好きで、いつものように山盛り三杯の砂糖を入れ、親戚の噂などを上機嫌で話している。うわの空で相槌を打っているうちに、二人ともコーヒーを飲んでしまった。もう言うしかない。

「三年前のあれね、実は癌だったのよ」

一呼吸置いて、母はいつもの声でこう言った。

「そうだろうと思ってたよ」”

(向田邦子ベスト・エッセイ「娘の詫び状」より)  

 

喫茶店は一人で来る人もいれば二人で来る人もいます。もっと大人数の場合もあるけれど、コーヒーを間に置いて、人と人が向かい合う。この光景はやはり喫茶店やコーヒーが一番腕の見せ所というか、力を発揮できる立ち位置のような気がします。  

「一杯のコーヒーから」というエッセイでは、若い頃の向田邦子が、喫茶店で、初めてテレビの脚本を書く話をもらった場面のことが書いてあります。

   ”時間が半端だったせいか、明るい店内はほとんど客がいません。新製品なんでしょう、嫌に分厚くて重たいプラスチックのコーヒーカップは、半透明の白地にオレンジ色の花が描いてありました。置くとき、ガチンと音がしました。コーヒーは、薄い、今で言うアメリカンだったと思います。”

(向田邦子ベスト・エッセイ「一杯のコーヒーから」)

 

いざ仕事を始め、本人いわく、最初はお小遣い稼ぎのつもりで書いていたという台本は、オンエアが終わると捨てていたそうです。どんなものを何本書いたかも記憶にない中で、「覚えているのは、あの日、プラスチックのカップで飲んだ薄いコーヒーの味ぐらいだった」そうです。コーヒーの味は薄く、カップは分厚く重い。

最後に「手袋をさがす」というエッセイ。これにはコーヒーは出てきません。

二十二歳の頃、ひと冬を手袋なしですごしたこと。なかなか気に入った手袋が見つからず、妥協するのも嫌で、かといって惨めったらしく見られるのも嫌で「わざとこうやっている」ふうに颯爽と歩いていた。でも、手袋のない手は、ほんとはいつもカサカサに乾き、冷たくかじかんでいた。まわりは始め冗談だと呆れていたけれど、そのうち母にも本気で叱られ、本人はそのことでさらに意地が出てきます。

このエッセイでは向田邦子が、とことん目をそらさずに自分を見つめて、叱って、最後は抱きしめてあげているような気がします。自分の嫌なところをいっぱい書いて、書き切って、そんなところを愛してあげようと決めた。

色んな人からの愛のある助言を受け、それを素直に「ハイ」と言えない自分へのもどかしさ。しかしそれが自分の気性でもあり、生ぬるい反省をしたふりをするくらいなら「その枝ぶりが、あまり上等の美しい枝ぶりといえなくとも、人はその枝ぶりを活かして、それなりに生きてゆくほうが本当なのではないか」。

手袋をせずにすごした二十二歳のひと冬から、四十代になった向田邦子は、年と共に勢いだけでは動けなくなった体や、経験からくる用心深さに苛立ちながらも、自身が今ももつたったひとつの財産は、いまだに「手袋をさがしている」ということだと言います。「この頃、私は、この年で、まだ、合う手袋がなく、キョロキョロして、上を見たりまわりを見たりしながら、運命の神様になるべくゴマをすらず、少しばかりけんか腰で、もう少し、欲しいものをさがして歩く、人生のバタ屋のような生き方を、少し誇りにも思っているのです。」

誰にでも、どんなものにでも、優しいところを見つけてくれる、向田邦子のエッセイの中で、この話は、今まで彼女が、自分を厳しく見つめてきたのが伝わります。

本当は何をさがしていたのだろう。見つかることが幸せなのかはわかりません。

でも、自分が手袋をさがしていることに気づいている人は、少ないのかも知れません。

 

参考

「父の詫び状」向田邦子

「向田邦子ベスト・エッセイ」向田邦子

「向田邦子の陽射し」太田光

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chai