Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。
  • title
    伊丹十三とコーヒー
  • date
    2022.01.10

映画俳優、デザイナー、エッセイスト、雑誌編集長、翻訳者、CMクリエイターなどさまざまな分野で活躍し、料理やレタリングの腕も一級。1984年、五十一歳で「お葬式」で映画監督としてデビュー。主な映画作品に「マルサの女」「「ミンボーの女」「スーパーの女」などがあります。

さてこの人物は?

伊丹十三の歯に衣着せぬ文章や感性は、おそらく何十年経っても古くならない、そういうアンテナに集まってきているものだと思います。このお洒落なおじさんは、めちゃくちゃ素直に、正しい目で物事を吸収して、それを時に辛口で挑発的に、わざわざみんなに親切に教えてくれようとしている。いいものはいいと言い、ダサいものはダサいと言う。そして「これはすべて人から教わったことばかりだ。私自身はーほとんど全く無内容な、空っぽの入れ物にすぎない。」なんて言います。

欧州で暮らした際は、日本で食べ慣れていたパンとの違いに衝撃を覚えたり、アボカド(アヴォカード)やカマンベールチーズや、大きな木のボウルにドレッシングから作り、とれたての野菜をザクザク入れていく、そんなサラダなんかを全身で味わい吸収していきます。日本でも、蕎麦屋の店主に話を聞いた鰹節の量に驚いたり、祖母の梅干しや伽羅蕗の作り方を詳細に思い出そうとしていたり。やっぱり興味のあることはとことん本物を見たい!味わいたい!そう思わされます。また、食だけではなくファッションやマナーなどでも、幅広い知識を得ていきます。

そしてコーヒーの話をしている章。ちょっと長いですが。

ーそこへゆくとヨーロッパの子供なんかは、まだしあわせだと思う。今でも昔ながらに、彼らはコーヒーの豆を挽く音で目を覚ますことができるからだ。そうして、ヨーロッパではだれも「コーヒーは匂いがとびやすい。だから新鮮な味と香りを愉しむためには、コーヒーは必ず飲む直前に必要な分量だけを挽くようにいたしましょう」などと絶叫したりしない。つまり必要がないのである。常識がいまだに常識として命を保っている。つまりそれが文化というものであろう。

さてコーヒーを挽くにはコーヒー・ミルというものを使う。木の箱に鉄のハンドルがついていて、箱の上の蓋をあけてコーヒーの豆を入れ、ハンドルをがりがり回すと挽かれたコーヒーが下の引出しにたまる。なんとなく鰹節を削るのと趣が似ているではないか。

大きさはさまざまで二人用くらいから、ずいぶん大きな大家族用みたいなのまである。電気で動くやつもあるが、自分の手で、ハンドルから伝わってくる豆の砕ける乾いた感触を味わうのが愉しいのである。

日本人はずいぶんコーヒーをよく飲むし、また妙に銘柄やブレンドにうるさい人が多いわりにコーヒー・ミルを持っている人が少い。挽きたてでないコーヒーを論じてみても詮ないことと、私は思うのだが。

(女たちよ! 乾いた音/1968年)

この本が出版された1960年代と言えば、コーヒーの生豆やインスタントコーヒーの輸入が自由化され、第一次コーヒーブームが到来した時代。国内初の缶コーヒーも登場しました。

個人経営の店が主流となり、寡黙な渋いマスターが淹れるコーヒーと、「ジャズ喫茶」「シャンソン喫茶」など、店主のこだわりがつまった店が人気となっていました。

そんなインスタントコーヒーについては、こんな言葉が載っています。

ーインスタント・コーヒーについては、世の中にそういうものがある、ということを知っているだけにとどめたい。世の中には、そういうものを飲まなければならぬかわいそうな人たちがいるということを知っているだけにとどめたい。ー

しかし親交のある方の話だと、実はインスタントコーヒーも結構飲まれていたそうで。

まだまだ伊丹十三を語るには何も知らないですが、留まらず、いつも驚き続けられるものを見つけていく、好奇心や面白いことへのアンテナをずっと持ち続ける楽しさを、このおじさんは教えてくれている気がします。

-18-

chai

  • title
    ノッカー・アップ
  • date
    2021.12.20

「ノッカー・アップ」という仕事をご存知でしょうか。

産業革命の頃、イングランドやアイルランドに存在していた職業で、目覚まし時計が普及する以前、朝早くに、人々が仕事に遅刻しないよう家々を回り、起こしていた”目覚まし屋さん”のことです。

頼まれた人の寝室の窓を棒でコツコツ叩いたり、起きるまで豆鉄砲を窓めがけてプッ!と飛ばして当てたり。この仕事は朝の早いおじいさん・おばあさんの割合が多かったようですが、早朝パトロールの警官が、収入の足しにやっていたりもしたそうです。

この仕事を知ったのは「メアリースミス」という絵本。表紙の、ほっぺを膨らまして豆鉄砲を吹く女性、メアリースミスは実在した人で、最後に写真も載っています。絵も写真も内容もとっても素敵な一冊ですが、私はこの仕事の内容にとても惹かれます。

仕事って本当にいろんなものがある。目覚まし時計が普及してこのノッカー・アップという仕事がなくなったように、人じゃなくてもできる仕事はこれからもどんどん増えていくデショウ。それでも、誰かが必要としていることに、直接的なやり方で応える仕事というのは、一番夢があると思う。

私はコーヒー屋で働いていた時、そんな気持ちを何度も味わいました。雪の季節になるとなおさら、そのお店を思い出さずにいられません。長靴を履いても埋まるくらいの雪かきもするし、毎朝ほぼ凍ったような店の開店準備も、今日はどんなお客さんが来てくれるかな、と思うと楽しいものでした。お客さんがコーヒーを美味しかったと言ってくれたり、お店にきて元気が出たとメモを残していってくれたこと、相手の気持ちが直接伝われば伝わるほど、自分の方が元気をもらいました。外の階段を通って注文されたカフェオレを届ける間、ミルクの泡の中に屋根から雪のかたまりがぽちゃんと落ちたこともありました。誰も来ない吹雪の日は、いつもの野良猫が通ってなんだか温かい気持ちになりました。

自分の心と相手の求めるものが直接に繋がった仕事というのは、一本の糸で結ばれた、ちょっと恥ずかしいけど、運命の仕事だと思うのです。

ノッカー・アップという、素朴で、人に必要とされている仕事にただただ優しい気持ちになり、雪の中のコーヒー屋での仕事を思い出しました。あの頃の自分も、豆鉄砲を飛ばして走り回っていたようなもんでした。道具はコーヒー豆で、あとは雪かきスコップややかんだったけれど。

 

「メアリースミス」

作・アンドレア・ユーレン 訳・千葉茂樹

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chai

  • title
    クリスマスったらクリスマス♪
  • date
    2021.12.12

クリスマスが近くなると本屋さんの絵本コーナーにもとっても可愛いクリスマスの絵本が並びますね。

ツリーの緑や白い雪、サンタさんの赤い服、聖夜の澄んだ黒や紺色、キラキラ光る白や黄色の星など、きれいな色や絵は眺めていても飽きないものばかり。

今回はそんな絵本の中から一冊ご紹介します。

ちょっとシュールでユーモア溢れる貼り絵の、

 

「めがねうさぎのクリスマスったらクリスマス」(ポプラ社)

作・絵せなけいこ

 

クリスマスがだいすきなめがねうさぎのうさこは、

♪クリスマスったら

クリスマス

なんといっても

クリスマス…

と歌いながら今年もサンタさんが来るのを待っています。ところがそのころサンタさんはくまさんのうちで、こぐまたちが眠るための”グーグージュース”をみんな飲んでぐっすり眠ってしまい…こんなお話。

ちょっとおっちょこちょいなサンタさんですね。このお話は、うさこも「ことしの サンタさんは おそいなあ!」と待っているし、かあさんぐまも「あら いらっしゃい いま コーヒーを あげましょう」 とサンタさんに会えるのがふつうのようです。

一年に一度、サンタさんに会えたら…枕元にプレゼントがあるのと同じくらい嬉しいですね。湯気のたつコーヒーカップを二つお盆にのせて戻ってきたかあさんぐまは、ぐっすりねちゃったサンタさんを見つけてびっくり。一年に一度のサンタさんとのコーヒータイムを逃しちゃった!!

せなけいこの絵本によく出てくるおばけも登場し、ドタバタのクリスマスは最高です。

一晩で世界中をかけめぐるサンタさんのために、クッキーとホットミルクを置いておく習慣もありますが、クリスマスイブの夜、サンタさんにあったかいコーヒーを淹れてあげられたら、こんな幸せはありませんね。

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chai

  • title
    BABY DRIVER
  • date
    2021.12.02

ドライブのお供にコーヒーは最高ですが、激しいカーチェイスの合間にもなかなか似合うと思ったのが今回の映画「BABY DRIVER」。

天才的な運転センスを買われ、組織のお抱えドライバーとして現金輸送車や銀行で強盗を働く集団を逃がす主人公BABYは、子供の頃の事故の後遺症の耳鳴りを消すため、四六時中イヤホンで音楽を聴いています。カーチェイスの場面では、たくさん持っているipodの中からその時のテンションで音楽を選び、クイーンの「Brighton Rock」ダムドの「Neat Neat Neat」T.レックスの「Debola」マーサ・リーヴス&ザ・ヴァンデラスの「Nowhere To Run」など名曲かけてぶっ飛ばします!

BABYは愛称で、最後の方まで本名は名乗らないのですが、演じるアンセル・エルゴートは甘く幼い顔立ちに長身で、自分も来世こんなルックスだったらB -A -B -A -Yと名乗ってみたいです。彼は仕事のあとや組織の会議の前、よくコーヒーショップに立ち寄ります。激しい仕事の後、音楽を聴きながらご機嫌でカフェのドアを開ける場面も、テイクアウトの紙カップをトレーに乗せて踊りながら道を歩く場面も絵になります。

ちなみにコーヒーの出てくる場面ではJonathan Richman&ザ・モダンラヴヴァーズの「Egyptian Reggae」やGoogie Reneの「Smokey Joe’s La La」が流れています。

ヒロインの女の子との出会いもカフェです。サーバーに入った半分煮詰まったようなコーヒー。でも、そんなコーヒーもやっぱり美味しそう!

私の母は、お盆のお墓参りの2時間弱のドライブの時、必ず缶コーヒーを持っていきます。コーヒー好きだった祖父へのお土産なのかなんとなく特別なものらしく、新聞紙に包んだお花と蝋燭などの荷物の間から、缶コーヒーを手渡してくれます。

私は運転もそんなに上手くないし音楽も詳しくありませんが、もうちょっと腕をあげてBABY DRIVERの曲を網羅したらカーチェイスにもチャレンジしてみようと思います。

映画を観るときは、ぜひLサイズの紙カップコーヒーと、ピーナッツバターを端までたっぷり塗ったトーストを片手にお楽しみください!

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chai

 

 

  • title
    猫のいる風景
  • date
    2021.11.22

実家の猫はもう二十歳を過ぎ、いい歳であるはずなのに、これまで健康も見た目もマイペースぶりもほとんど変わらずに来ました。なのでこの猫が歳をとるとか、いつか死ぬということをすっかり忘れていました。

今年の夏、突然、てんかんのような発作を起こし、我を忘れたようにぐるぐる回り始めると、腰を抜かしてぐったりしてしまいました。その後も何度か同じような発作を起こし、尻尾を垂れて急に歩き方もふらふらになってしまいました。

ゴミ箱やテーブルの足など家具を頼りによろよろ。方向を変えようとすると上に大きくそってしまい、背中からどんど倒れます。危うく父の碁盤の角に頭をぶつけそうにもなりました。食欲もなく体も細くなり毛が浮いて、これまでできていたトイレも、辿り着けずに床でしてしまうことも増えました。それでも毎日よろよろと歩き続けていました。

病院からもらった薬をあげながら見守る日々が続きましたが、そろそろだめかなという空気が家族中に漂いました。

もう十月も半ばの暑い暑い日。朝に母から電話がきました。娘を抱えて急いで実家に行くと、猫が座布団の上でぐったりしていました。「大往生だな。幸せな猫だったよ」と父が言い、「いつもの日当たりのいいところで丸まってたと思ったら、口ぱっくり開けてたんだよ」と母が言います。目にも生気がなく、本当にか細く息をしているだけという感じでした。しかし、しばらくすると頭を少し持ち上げ、父が手のひらに餌を載せてあげてみると、ぺろぺろと舐めました。

なんとその日を境にみるみる回復していったのです。

ご飯はむしゃむしゃと食べるようになったし、尻尾もピンとたてて歩きます。よろよろしながら歩いていたのは、リハビリだったようです。わずかな段差も上がれなくなっていたのに、知らないうちに階段を上って、二階のお気に入りの窓で昼寝をしていたりします。

かと思うと、少々ボケたように、ご飯を食べたのを忘れて何度も餌皿の前に座るようになったり、朝一緒に寝ている母の布団におねしょをするようになりましたが、自分で生活ができるくらいには戻りました。そうそう、子供の頃よく企てていた外への脱走計画も、また練り直している節が見られます。

父はペット霊園の資料を集めていたそうです。母と末の弟は、残りの餌をどこかにあげようかと相談していたみたいだし、もう一人の弟は仕事の前に必ず寄り、抱きしめていったそうです。知らないうちに夫も会いにいっていました(弟がたまたま休みで昼寝をしていて、その股間に猫も丸まって寝ていたため、あまり触れなかったみたいですが)。

家族の勝手な思いや計画なんてお構いなく、転んでも転んでもひたすら歩き続け、休養をとり、マイペースを貫いていたその猫の姿に、何年か前に亡くなった祖母のことを思い出しました。ホットミルクに浸した食パン、甘酒、砂糖をかけたトマト、小柄で食は細いけど自分の好きなものだけ食べ、健康で超長生きした祖母。人生(猫生)ひっそりマイペース、好きなように、やりたいように!

毎朝父がコーヒーを飲みながら、新聞を読んだり日記を書いたりしていると、何食わぬ顔でその上にのってくる猫。抱っこしてくれるまで動きません。

拾ってきたので正確な年齢はわからないけれど、家に来てからの歳を考えても、二十歳ということは人間にしたらもう百歳近く。猫またになってもおかしくありません。

「妖怪になってもいいからもう少し一緒にいてほしい」。そう言ったのは弟ですが、家族みんなが弟と同じ気持ちで過ごした夏でした。朝のコーヒーの香りと、日のあたる暖かいソファの上で猫が丸くなっているあの風景は、かけがえのない日常です。

-14-

chai