Coffee Column
コーヒーコラム
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。

年: 2023年

  • title
    そんな朝だからこそ
  • date
    2023年10月20日

例えばどんなに忙しい朝でも、コーヒーをドリップして飲みたい時がある。

もっと手早く淹れる方法ならあるのに、そしてそんな朝にはゆっくり味わって飲む時間があるわけでもないのに。

お湯を沸かしてドリッパーにペーパー、それにサーバーとポットに温度計をセット。豆を挽いて、粉を入れる。

とここまでは超スピード。

そこからゆっくりお湯を回し入れる。コーヒーがポタポタと落ちていくこのわずかな時間は、短いけど永遠のようで、宇宙と繋がっているような感じすらする。というとちょっとよくわからない言い方だけど、そのくらい頭と手元は集中して、心は凪いでいる。

いや反対かな?頭と手元は何かに動かされ、心が集中しているのかもしれない。

外界と遮断され時の流れの違う自分の世界にいるという意味では、ドラゴンボールの精神と時の部屋の中のようだ。

何かの本で、日本人がコーヒーの淹れ方で繊細なドリップを好むのは、お茶の文化に通じると書いてあった。

効率や味だけではない、作る過程を楽しむことを大事にしているからだと。なんとなく納得できる。

目で粉の膨らみを

最初の蒸らしで鼻に飛び込んでくる香りを

膨らんだ粉がぷつぷつと小さな泡を立ててはじける音を

五感で味わえること。

それが、コーヒーを手で淹れる楽しさだと思う。

ドリップを始める前にお湯で温めておいたカップに注ぐ頃、もう次のことをしなきゃいけないこともある。それでも満足。

コーヒーは飲むのも楽しい。淹れるのも楽しい。

これもまた一つのコーヒータイム。

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Chihiro Taiami

 

  • title
    つむじ風と
  • date
    2023年10月08日

私が働いていた、ブラウンブックスカフェ円山店の頃。

古い一軒家や馬頭観音の石碑が佇む、静かな住宅街の一本道のつきあたり。日が落ちると蔦で覆われた白壁に直接貼られた看板の文字が、白熱色の照明にぼやあっと映し出されていました。建物の後ろには大きなマンションがそびえるように立っていましたが、それがまた静けさを際立たせていました。

閉店時間を過ぎ、外の照明を消すともう真っ暗。店内の片付けと売り上げの精算をし、最後にガラスの引き戸を木の扉にはめ替えます。

店じまいと帰る支度を済ますと、たまにこっそり、喫茶兼ブックコーナーである2階に上がってコーヒーの本を読みました。勉強を兼ねて、とかなんとか理由をつけて、なんともワクワクする時間でした。

店長と、当時一緒に働いていた子が本好きで、いろいろな本を教えてくれましたが、その中で今も、ずっと面白いと感じるのが吉田篤弘の「つむじ風食堂の夜」です。

最近見かけたある映画監督の言葉。お気に入りの映画の話をしている中で、

「”お気に入り”という言葉にはさまざまなレベルがあることがわかった。最も感銘を受けた映画、見続けるのが好きな映画、見るたびに学ぶことができる映画、新たな経験ができる映画…。つまりさまざまな”お気に入り”がある」

「つむじ風食堂の夜」は、私にとって「読み続けるのが好きな本」です。なぜか何度読んでも飽きることなく、たまにその文庫本の世界に入り込んで登場人物たちと同じ時間を過ごす、その時間が心地いい。

その食堂が頭に浮かんでくる時、なんとなくブラウンブックスカフェと重なります。古めかしい飴色のテーブル、水の注がれたコップ、漆喰の、何色とも言えない不思議な色をした四方の壁。

つむじ風食堂は十字路の角にあって、ブラウンブックスカフェはつきあたりにあったんですけど、

ー東西南北あちらこちらから風が吹きつのるので、いつでも、つむじ風がひとつ、くるりと廻っていた。ー

そんな一文を読むと、風が、色々なところから来てくれるお客さんのような気がしました。

閉店後に、小さな灯りの下で背中を丸めて本を読んでいる自分の後ろ姿が遠く見えるような気がすると、あの頃、働くという意味がなんとなくわかった頃だったなと思います。

コーヒーのことを好きになるんだ、もっともっとと、楽しくてしょうがなかった。今いる場所が好きなんだ。技術も知識も、お金という対価をもらうにはまったく足りな過ぎた。でもやる気とワクワクだけが、その静かで真っ暗な場所に、煌々と輝いていました。

今子供達にいろんなお仕事をしてもらおうとすると、「おかーさんこれどうやるの」と何度も聞きにくるので、手を止めて飛んでいきます。この期間は任せてることにならない。一人でできるようになって初めて、私も違う仕事ができて効率よく仕事が回るようになるってもんです。

社会で働いていた頃、雇い主はこの瞬間も、成長を信じてお給料を払ってくれていたんだろうな。頑張ってくれている姿、大失敗の姿、正直自分でやった方が早いくらい時間のかかっている様子、明らかにもうやりたくないという表情。でもできるようになるまでのその時間は、極端に言えばサナギのようにとても大事な瞬間で、私も貴重な姿を見ているんだと思う。じっくり待ちたいけど感情的に言ってしまったりして(それは同じことでも、その時のモチベーションにもよるし)寝る前にありがとうとごめんねがぐるぐるすることもよくあります。

黒い背景に小さな星と、タイトルしか書かれていない「つむじ風食堂の夜」の文庫本。

この本を閉じる時はいつも、ブラウンブックスカフェで働き始めた頃の自分と子供たち、そして今の自分と、当時の見守り育ててくれた人たちが浮かんできます。

そして今この時も、つむじ風食堂の物語と、片田舎で育児をしている私と、ブラウンブックスカフェのページはそれぞれ続いています。

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Chihiro Taiami