Coffee Column
コーヒーコラム
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。

年: 2023年

  • title
    クリスマスの小説
  • date
    2023年12月15日

ショートショートという小説をご存知でしょうか。

小説の中でも特に短いお話で、最後にあっと驚くような意外な結末が用意されているものです。幼い頃から星新一が好きで、あっという間に読めて面白いその形態に魅了されました。

大学では卒業論文で星新一について書き、試験の当日うっかりその論文を持っていくのを忘れて先生たちに呆れられた思い出があります。星新一もびっくりの結末。

この星新一のお話に、クリスマスを題材にしたものがありました。争ってばかりいる人類を見かねた宇宙人が、地球を滅ぼしてしまおうと向かってくるのですが、着いてみると人々はニコニコ、幸せな空気に包まれていました。宇宙人たちは首を傾げながら帰っていきます。なんとその日はクリスマスー。

タイトルは忘れてしまったけど、短い言葉でまとめられた文章と、その話を読んで心に描いたイメージは今もはっきり残っています。

アメリカのO・ヘンリーという作家も、短編やショートショートの名手で、クリスマスの素敵な物語を残しています。

「賢者の贈り物」は、貧しい夫婦が相手へのクリスマスプレゼントを買うために、お互い自分の大切なものを売ってしまい、結果としてどちらも買ったプレゼントが無駄になってしまいます。この夫婦は愚かなのか賢者なのか?

結果はどうあれ、思い合った過程があれば、うまく行っても行かなくても二人で笑えるしハッピー!なクリスマスのお話。

NHKのEテレで「おはなしのくに」と言う番組があり、いろいろな役者さんが朗読と一人芝居をしています。この「賢者の贈り物」を安藤サクラさんがやっているのを観て、胸を打たれました。

寒い冬の夜には温かい小説とコーヒーを。

ふうっと一息つきながら、宇宙人も帰っていってしまうようなコーヒータイムを過ごせますように。

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Chihiro Taiami

  • title
    母の飲む珈琲
  • date
    2023年12月06日

母の飲むコーヒーはだいたい深煎りで、濃いめが好みだ。インスタントコーヒーを飲むときでも、勤めていた頃から使っているという「I⭐︎want you!」とロゴの入った茶色いマグカップに、もりもりの量の粉を入れる。

まぁそういう好みの人はよくいると思うが、彼女の最大の特徴は、いつも底に最後の一口分のコーヒーを残すことだ。

母いわく「あとでこのあと一口が飲みたくなるかもしれない」からだという。

私の記憶が確かなら、そのあと一口はいつも冷えきっていて、次のコーヒーを入れる前に、あ、待って待ってとぐいっと飲み干すと言うポジションを担っている。次にコーヒーを飲む前の、清めの一口と言ってもいいだろう。

「勤めている頃から」は、マグカップの他に傘もある。紺色と赤と白の幾何学模様が色あせもせずに今も鮮やかで、雨の日にさしている姿はもちろんだが、毎日玄関の傘立てに収まっている姿は、帰ってきた時にいつも一番に目に飛び込んでくるので「おかえりの傘」とも言える。

若い頃からのアイテムが今も生き生きとその居場所を確保していることは、母自身もその頃から気持ちが変わっていないということなんだと思う。

私は父とは感性が似ているところが多く、言葉が少なくてもすんなり意思疎通ができるのだが、母とはちょっと違うので、気持ちをわかってもらいたくて、反抗期にはだいぶくってかかっていた気がする。

最近、実家の自分の部屋のものを整理をしていたら、勉強机の奥から便箋が出てきた。「お母さんはあまり気持ちを伝えるのが上手くありません。だから手紙を書くことにします」という出だしの、母からの手紙だった。なぜせっかく書いた夏休みの課題の読書感想文を出さないのか、ということが3枚くらいに渡って書いてあった。

夏休みの課題を出すか出さないか、今となっては小さなことだけど、思春期の親子の、お互い気持ちを伝えたいけどうまく伝えられないというような、もがくさまが感じられた。

家族で交換日記をしようとしているノートも見つけた。最初に母の文字で「みんなでその日あったことや思ったことを書きましょう!」と、意気揚々とした言葉が数行書いてあったが、あとは私や弟たちが「起きた」「学校に行った」など一言ずつ書いてあって、次のページからはもう何も書いていなかった。これは小学生くらいの頃のものだな。

今でこそ愛を込めて滑稽さを感じる母だが、幼い頃には母の存在というのはなかなかに恐ろしい。

幼稚園の頃、買い物の荷物を持っていて「疲れたー」と地面にしゃがみ込んだら、袋に入っていた卵がグシャッと割れてしまった。ゆっくり見上げた時の母の無言の怒り顔。

剣道の練習にどうしても行きたくなかった日、道場まで車で送ってもらい母が去ったあと、雪の降る中入り口から中に入れずにずっと外に突っ立っていてた。最終的に近くの店の公衆電話から電話をしたら、迎えにきた母はやはり険しい顔で、無言で連れて帰られた。

大人になってから、母に「怒られてる記憶しかない」と笑いながら言ったら、悲しそうな顔をしていた。

また記憶に残っているのは、台風が近づき夜中に小児喘息の発作が起きた時、紅茶を飲みながら、母と二人で薄暗い居間で起きていたことだ。「のど、どんな感じ」と聞かれ「クモの巣がはってるみたい」とヒューヒューしながら言うと、母はいつもごめんね、ごめんねと泣きそうな声で謝っていた。苦しかったけど、全然ごめんということはないのに、と思っていた。

もう喘息はない。でも今でも私が風邪の治りかけだったり、少し疲れているだけでも、絶対に無理するなと繰り返し言う。

四度の出産で里帰りをした時には、産後の肥立は本当に大切だからと、食事から赤ちゃんのお風呂、まだ幼い上の子の面倒を見るなど、たくさんお世話をしてくれた。でも、ある晩母がパジャマ姿で、コーヒーを手に深夜のコント番組を見ながらはははとリラックスして笑う後ろ姿を見た時、なぜかその里帰り中で一番ほっとしたことを覚えている。

昔から見ていた、荒れてカサカサと皮のむけた母の手に、自分の手もよく似てきた。

言うことや、昨日作った料理も、何だかかぶっていることが多い。

活字中毒は、どう考えても母の影響だ。

いろんな時間を経て、いつの間にか母とコーヒーを飲むようになっている。

朝、一仕事終えると、母のところへ向かう。実家には起きてすぐ家族たちが飲んだコーヒーの香りが漂っている。新聞にさっと目を通し、コーヒーメーカーに残っているコーヒーをぐびっと立ち飲みし、母や父と数分話をして、また飛び出していく。朝、仕事に行く前にバールに立ち寄るイタリア人のように、この時間なくして私の一日は始まらない。

お代も払わずに去っていくこの客を、母は何歳になっても母のまま、笑顔と少し心配顔で送り出し、娘は何歳になっても娘のまま、「もうそんな心配しなくて大丈夫だって!」と粋がりながらも、背中にこそばゆいあたたかさを感じている。

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Chihiro Taiami