Coffee Column
コーヒーコラム
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。

年: 2016年

  • title
    次回すぐ書きます!
  • date
    2016年05月26日
ブラウンブックスカフ4pla店で働き始めて もうすぐ3度目の夏がやってきます。 今年はものすごく暑い夏になると誰かから聞きました。 それならば いっそ、気持ち悪くなるくらいべったり暑苦しい話しでもしてみたい、そんな気分です。 適度に休み休み、読んで下さい。 image 4plaの夏は熱い! 例年熱い!! しかし今年は、例年になく早々と冷房が効いています!!! 奇跡だ……。 しかし当店は間接照明多すぎて、冷房だけでは不十分。 扇風機を独自でブンッブンッ!狂ったように回しております。 image *こちらの扇風機は売り物です。 加湿器さえも既に3台常備。 まるで要塞です。笑。 何から身を守っているのか 本当に守られているのか もう、わかりません。 常に風を浴び続け 常に汗を流し続け 今後の備えに予想されるのは 酸素マスクでしょうか。笑。 しかし、慣れとは怖いものです。 汗ひとつかかない日 扇風機を回さなくてもいい日 そんな快適な日は、仕事をした気がしません。 全然しません。 ま~、全然ないんですけど。そんな日。 ここまで 書いておいて本当に書きたい事が 違った事に気がつきました。苦笑。 次回書くのは、本当に暑苦しい話です。 すぐ!すぐに!できるだけすぐ書きます! 今年も熱い夏がやって来ます!
  • title
    10年を振り返って⑤
  • date
    2016年05月18日
2011年秋、円山の店の隣のアパート取り壊しにより、このままの形態ではこれ以上営業できなくなるという事になりました。絶対出たくないと、泣いて叫んで暴れてわめいても、どうにもすることができず、ただ受け入れなければならない。この建物から卒業するべき時がきたのです。 最初は正直、ブラウンブックスカフェは建物の魅力しかなかったと思う。でも改装期間入れて約5年、様々な自然災害とか貧乏期間を工夫し乗り越え(笑)、そのパワーみたいなものは、この建物では収まりきれない程だったのかもしれない。 お店は、目に見える建物や空間だけが全てじゃない。そう気づくまでなかなか諦めがつかなかった。 これ以上の物件はない。廃業も頭によぎりながら、お先真っ暗で、ショックを受けていた。 ちょうどその時、自分が客として通っていた(というより好きすぎて行かないようにしていたぐらいの)、はろー書店という洋書とアンティーク雑貨の店が閉店と聞き、それもショックで最後に買い物しに行った時、その後そのまま、うちが入ると言う約束をしてしまたった。笑 直感で、円山の物件を超える店はここしかないと思ったから。 そして、読めもしないチェコとかハンガリーとか世界各国の古書、今思うとアンティークだかなんだか知らない雑貨等、ダンボール数十箱分の15年分のはろー書店の在庫もそのまま買い取った。笑  そうして新店舗の改装を始めた。 今度の改装は20坪!円山の倍の広さ。しかもすでに買い取った大量の荷物がある中での改装は本当に大変で、いちいち荷物を全部よけながら、はろー書店のイメージを払拭した方が良いのだろうか、円山のあの建物を出たら、ブラウンブックスカフェらしさって一体何なんだろうか。はろー書店、円山の店を超えるより素晴らしい店にしなくてはいけない…素晴らしい店って一体何なんだろう…と悩みまくってしばらく1人で別世界にいた。笑 体阿弥さんは、「あーまた店長、いま別世界にいるなー」と察してくれたに違いない。 毎日改装しながら、マックのハンバーガーと、みよしののカレー餃子ばかり食べいた。(だいたいお店オープン前は栄養不足で味覚障害になる。苦笑) まみこさん(お客さん)、けんちゃん(お客さんの息子)、石本さん(友人)が毎日のように手伝いに来てくれた。 同級生の石本さんはこれを期にスタッフとして今も働いてくれている。涙 壁の色はまみこさんが提案してくれた”新しい芽の色”グリーン。ペンキを混ぜて色を出した。その後、西野店も4プラ店もこのグリーンがうちのカラーとなった。 円山の店はもしかしたら続けられる可能性も10%ぐらい残っていたので閉めないで体阿弥さんに任せて、とりあえず2012年1月5日新店舗オープン!!! そしてその1カ月後、やはり円山店はもう続けられないという結果になり、諦めた。 お客さんも皆ショックを受けていて、さらにまたそれが辛かった。 最終営業終了後のあの全てを失った喪失感は今でも忘れない。店中の傷全部に思い出があり愛おしくて、離れたくなくて、家がどこかもわからなくなって一晩中泣きながら車で徘徊したな。笑 私の商売人生の中で円山店の移転は本当に大きな出来事でした。社会人経験がない私にとって多くの事を学ばせてもらった店。 失ったのではなく、約5年あんな素敵な建物で店をやらせてもらった事に今は本当に感謝している。 つづく