Brown Pagecoffee column
毎年10月1日コーヒーの日、一冊の本 Brown Bookとして発行する、日々のコーヒーコラム。

カテゴリー: coffee column

  • title
    飲みそこねたコーヒー
  • date
    2021年08月05日
  • category
    coffee column

ヤン・オーレ・ゲルスター監督の「コーヒーをめぐる冒険」という映画は、ある朝恋人の家でコーヒーを飲みそこねた青年ニコが、その日一日様々な人に出会いながらも、ことごとくコーヒーを飲めないというお話。モノクロの映像に、淡々とした時間の流れを感じます。

映画を観ながらついつい一人で「人がよすぎるんだよニコは」と呟いてしまいます。

お互いにとって通りすがりであろう相手の話も、ちゃんと聞いてしまうニコ。

相手を傷つけずに、それでいてわりと的確な返しをするニコ。

タバコの火をいつも人にもらうニコ。

ニコニコするわけでもなく、わりと困り顔のニコ。

何となくアンラッキーな一日。でも、そのアンラッキーな出来事に対する主人公の抗わない姿勢が、個人的には好感を持てます。いつもなら何かをリセットしてくれるはずのコーヒーが逃げていく。なかなかそのループから抜け出せない…果たしてニコはいつコーヒーを飲めるのか?

それにしてもモノクロ映画の中のコーヒーってなんで美味しそうなんでしょう。

この映画ほどの冒険はしていないのに、なぜだかコーヒーを飲めない日もあると思います。

ポットでお湯を沸かし…そのお湯がいつのまにか冷めている。スプーンでカップにインスタントの粉を入れたのに、お湯を注ぐところまでいかない。コーヒーを淹れた!牛乳も入れた!そしてスプーンがささったままぬるくなっていく…。一口しか飲んでいないコーヒーに、気づくと何か浮かんでいる…。

時にコーヒーと鬼ごっこの一日もありますね。

でも、いつか当たり前のようにコーヒーブレイクができるようになった時。

この冷めたコーヒーや、なかなかコーヒーにたどり着けない日のことを愛おしく感じるんじゃないかな。

ニコも、きっと同じ。

「コーヒーをめぐる冒険」(原題OH BOY)

2012 ドイツ

chai

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  • title
    喫茶店にて
  • date
    2021年07月24日
  • category
    coffee column

喫茶店の多い町に子どものころ住んでいた。小学校に入る前ぐらいから、私は父に連れられてよく喫茶店に行っていた。

母がまだ小さい妹を連れて用事を済ませている時、一緒に車で送ってきた父と私は時間を潰さなくてはならない。そういう時に喫茶店に行っていたのだと思う。当時は本当に昭和だったから、今のカフェと呼ばれるような雰囲気のお店ではなかった。行くのはいつも「昔ながらの喫茶店」だった。

客の多くが中高年男性で、ほとんどの人がタバコを吸っている。その煙の中で私も父と向かいあわせに大人用の椅子に座る。父は新聞を読み、タバコを吸いながらコーヒーを飲む。私はオレンジジュースを注文してもらう。

父は黙ってずっと新聞を読んでいる。私はとても退屈だった。ジュースがなくなると間が持たないのでゆっくり飲む。それから父のコーヒーに付いてきた豆菓子を食べる。ピーナツとか、小さいあられみたいなもの。これも早く食べ終わるとやることがなくなる。だからなるべくゆっくり、時間をかけて食べる。そして灰皿に書いてある英語の文字、マッチの箱の絵なんかを眺めている。壁のポスターやテーブルのヒビの行方を目で追っている。そうやって父が「行くぞ」と言うのを待っていた。

オレンジジュースの中には時々、缶詰の真っ赤なサクランボが入っていることがあった。私はこれが嫌いだった。色はきれいでかわいいけど好きじゃない。毎年、山形の親戚から届く生のサクランボは弾力があってみずみずしくてとてもおいしい。でもシロップに漬けてある缶詰の方は変に柔らかくて甘ったるい。同じ果物だとは思えなかった。それでも「サクランボが入っていてよかったねえ」とウェイトレスさんに言われたことがあったから、残してはいけないと思って最後には食べた。顔には出さないようにしていたが、かなり嫌だった。でも、みんなはこれを喜んで食べるんだなあ、じゃあ私も本当は喜んで食べた方がいいんだろうなあ、などと思いながら我慢して食べていた。

大人になってから気がつく。あんなに無理してまで食べなくてよかった。当時は「残す」なんてことは私には想像もつかなかったから仕方がない。食べ物のしつけには厳しめの家だったけど、舌が真っ赤になるような当時のあのサクランボだけは残しても怒られなかったかもしれない。

KARUBE

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