まだ雪の残る晴れた温かい日、久しぶりに祖母の家に行きました。
と言っても祖母は三年前に亡くなり、祖父もその前に亡くなっているので誰もいません。叔父や叔母、母が丁寧に遺品の整理をしながら管理しています。二歳の娘を連れて行くと、誰かいると思ったのか元気よく入って行きましたが、人気がなく静まり返った家の中に、少し戸惑ってしまいました。
雪のロゴマークの製乳会社で働いていた祖父は、とても仕事が好きだったので、家のふとしたところに、まだゆかりのものが見られました。書斎のテーブルには「牛乳読本」という小冊子、キッチンには雪のマークのついたスプーン。少し気難しい感じの祖父でしたが、コーヒー&シガレットをお供に、俳句や仕事の話をする時の生き生きした様子は、子供ながらに見ていて嬉しくなりました。いつもテレビでスポーツ番組がかかっていて、コーヒーと煙の匂いが漂う居間で、祖父が定位置であるソファに腰掛ける姿は、寛ぎを絵に描いたようで嫌いじゃありませんでした。
祖母は料理好きで、習い事の後など遊びに行くと、いつも美味しい手料理を作ってくれました。唐揚げや豚カツ、ポテトサラダなど作ってくれましたが、中でも好きだったのがコーンスープです。ホワイトソースを伸ばした小麦粉のダマが浮かんでいて、モチモチとした食感がたまらなく、大きいダマが入っているとラッキー!でした。いつも笑顔で、食べることが好きで、ふくよかな体型の祖母の作る料理は、本当に美味しかった。少し大きくなってから一人で泊まりに行った時の、朝起きて階段を降りる途中に漂ってきた朝食の焼き魚の匂い、醤油味のおにぎり、今でも思い出せます。
あまり広くない台所には、少し大きすぎるテーブルがあり、食器棚の前の席に誰かが座っている時は、お腹を引っ込めてコップをとりにいかなければなりませんでした。甘いものが好きだった祖父に、お土産にケーキを買っていき、そのテーブルを囲んでみんなでよく食べました。大人はコーヒー、子供は牛乳。インスタントですがコーヒーを作るのを頼まれた時は、分量がよくわからず、入れるのに少し緊張しました。祖父のデミタスは小さく、ポットのお湯がジュボッと入るので、さらにヒヤヒヤしました。後片付けのお皿を洗う音、その時の母と祖母の他愛ない会話まで聞こえてきそうなほど、祖父母の家のことはすみずみまで思い出せます。でも、一歩家の中に入って見ると、そこはもう静かに時が止まっていました。
帰りの車で、なんとなく自分の日常を振り返ってみると、何もしなかったような一日でも、体は汚れるし、爪は伸びるし、家にほこりはたまるし、コーヒーは冷めるし、天気は変わるし、ものは劣化して成長もしていき、時は止まらずに、目に見えないくらい少しずつでも、流れていきます。
生きているっていうことは、止まらないっていうこと。止まらないっていうことは、静のものからみると実はすごいスピードで進んでいるっていうこと。
あの頃は興味がなかったコーヒーも、大人になって祖父母の家を思い出すと、温かな湯気を立てています。それぞれが生活の中でコーヒーを飲んでふうっと一息つく瞬間は、そんな止まらない流れを一時緩やかにしてくれたり、動き出す前の一呼吸のような役割をしてくれていたんじゃないでしょうか。
90年以上止まらずに、動き続けた祖父と祖母の「生」。一休みできた今は、祖父母にも家にも、ゆっくりとお疲れさまを言いたいと思います。
美空ひばりの歌のように、川の流れか何かに身を任せながら、今度は自分が生きている真っ最中なのだということをかみしめていたら、道路脇に突然なぞのポニーが現れ、ギョッとした田舎の帰り道です。
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chai