Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。

カテゴリー: coffee column

  • title
    のびろどこまでも
  • date
    2024.08.06

夏休み あー夏休み 夏休み

夏の青空を見上げて、一句読みたくなった。祖父が俳句好きで、今日みたいな暑い日に裏の公園で蝉が鳴いているのを聞きながら、隣に座って詠むのを聞いていた。俳句ってその時の感情がばーっと出るようなものなのかな。

というわけで、私は今、夏休み一色の毎日だ。

我が家は住宅街の一番はじの方にある。隣には畑が広がっていて、青い空と白い雲、緑の畑のコントラストが、夏は本当に美しいと思う。

今はネギ畑が広がっているけど、時期によってマリーゴールドだったり、ひまわりだったり。遮るもののない空間に、心と体もどこまでも伸びていく気がする。

以前は自分の時間のない時ほど、少しでもやりたいことをやる時間を作りたいと、夜中に頑張って起きたり、隙間を見つけては家事を詰め込んだり、何かしようとしていた。

でも今年の夏は、子どもたちと同じ、いや子どもの頃と同じ「夏休み」を過ごそうと決めた。

畑、虫捕り、水遊び、洗濯畳んで、昼ご飯。そこそこ家事は家族みんなで振り分けて、あとはどうとでも動けるように。この余白に、なんだかんだイレギュラーなことが入ってくるから、結局はそれで帳尻が合って一日が終わる。

「時間は未来から過去に流れている」

そんなことを、友人が言っていた。

彼女は今、セントルシアという南米の島にいる。こちらは夜の十時。向こうは朝。彼女の背景に映る部屋は、濃い黄色の壁で、カメラを回してベランダの窓から植物が生い茂っている景色を見せてくれた。鳥の鳴き声もかなり大きく聞こえた。知り合いの店でネイルをやってもらったがいまいちだったとか、そんな他愛もない話をしていたっけ。日本を発ってからずいぶん髪が伸びて、綺麗になったなと思った。

遠くて近い電話を切ってから、彼女が不意に言った「時間」のことが、すごく面白いと思って考えていた。

ただ押し流されるように過ごしている時間だけど、タイムマシンのようにそこをぴょんぴょん移動することは可能なのだろうか。

「今」で解決しないことを、過去や未来にひとり時間旅行をして、見る場所を変えて納得するまでじーっと見てみたり。

かっこ悪いこと、失敗したこと、意味ないようなこと、そんな一瞬は、他人からの視点ではきっと矢のように通りすぎていく。みんなそれぞれ自分のことで忙しいから。

多分、時間は一直線上ではないんじゃないかと思う。

「今」は確かだけど、過去はフワーッとしてるし、未来には遮るものはない。

青空と白い雲と夏休み。

心を込めて淹れたコーヒーの香り。

遮るものはないから、

のびろどこまでも。

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Chihiro Taiami

  • title
    珈琲 妖怪 アドレナリン
  • date
    2024.07.02

「水木しげるの妖怪百鬼夜行展〜お化けたちはこうして生まれた〜」

札幌芸術の森にて6月29日(土)〜8月25日(日)開催。

半月前から家のトイレには、新聞に載っていた展覧会の紹介記事の切り抜きを貼っておいた。子供たちは大入道の絵を見て「これ、妖怪は細かいけど後ろは塗り方が雑だね」などと言いながら、それぞれ十分予習をしたようだ。

訪れた当日の朝。私は四時起き、家族は四時半起き。

前日から用意した荷物のほかに、直前の準備はコーヒーだけ。朝っぱらから全開の電動ミルで粉砕されたコーヒー豆の匂いが、今日のワクワクをすでに象徴している。

今朝コーヒーを落とすのは小学二年生の次男。母が誰かに淹れてもらったコーヒーを飲みたいという理由で、我が家のアルバイトの一つになっている。人はやってもらいたいことにはお金を払いたくなるものだと思う。

むくむく膨らむ新鮮なコーヒーの粉に感動する次男と私。

小さなバリスタの正確な軽量で、最高のコーヒーが入りました。マグボトルに入れ、準備が整った家族たちと車に乗り込む。

夏の朝はもう明るい。それでもやっぱり早朝は空気が澄んでいて気持ちがいい。

道南の片田舎から走ること数時間、芸術の森に着いたのは開場十数分前。気持ちのいい天気の中、会場までゆっくり歩いていくと、子供たちが死んだ虫に群がる赤アリを見つけ観察を始める。すでにたくさんの人が並んでいた。

看板やポスターを前に興奮状態。米子の妖怪ロードで鬼太郎の着ぐるみに会った時のように、奇声をあげそうになるのをグッとこらえた。

会場内に入ってからは、末っ子をガッチリ捕まえながら舐め回すように展示を見る。私にとってはもう別世界に行ったようだった。

しげるが「神田の古書店で古い妖怪の本を見つけた時にはこれだーーーー!!と膝を打った」というパネルの前では、私も膝を打った。

妖怪を描く上で参考にした研究者や画家の展示コーナーもあった。

鳥山石燕、竹原春泉斎、柳田國男、井上円了などの本は私も読んできたが、中でも「おばけ博士」こと井上円了は、妖怪なんていないということを証明するため、逆に全国各地の妖怪を研究したという面白い人。しげるの「否定しつつもなぜかこの人が誰より妖怪のことを知っている」というコメントに愛を感じた。

特にすごいと思ったのは、山や家など生息する場所ごとに妖怪画が展示されたコーナー。

あれは原画だったのだろうか?細かさに感動すると同時に、角度を変えてみると光の加減で筆の運びも見え、しげるが描いているところがイメージできた。それは本で見る整った画とは違って、自分と同じ人間が、真剣に描いているんだという気持ちになった。

ところどころ立体の展示もあった。子供は子泣き爺に顔を近づけすぎて、スタッフに注意されていた。

展示は館内だったが、入る時と出る時、自然と調和した芸術の森に、妖怪たちが喜んでいるようだった。

出口を通り抜ける頃、キャップのつばを後ろに回し、本気で挑んでいた自分に気がついた。

「仕事は決戦、リクツなし」

その使命を見て、

「好きなことだけやりなさい」

しげるの声が聞こえた気がした。

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Chihiro Taiami

  • title
    ちょうどいいところ
  • date
    2024.05.28

なんで今まで気づかなかったんだろうってことありますよね。

挽きたてのいい香りを嗅ぎながらコーヒーを淹れたい。

そう思って新しく電動ミルを買ったのに、ゆっくりコーヒーを淹れて飲みたいと思うタイミングがいつも子供がお昼寝をしている時でした。毎回、別室に挽きに行って戻ってくるという工程がとても面倒で、だんだん粉で買ったり、インスタントになって、出番が減っていきました。

それがある時ふと気づきました。大きな音出してもいい時に挽いとけばいいじゃんって。

毎回飲む直前じゃなくても、一日二日で飲み切るならまとめて挽いとけばいい。こだわりや思い込みが消えて、自分の生活の全部の、ちょうどいいところが見つかる瞬間。

こういうことはある日突然降りてくる。きっと肩に乗った天使か守護霊が教えてくれるんだと思う。あるいは宇宙からピピピッと!

仕事で成果物を作ることも同じらしい。

「ちょうどいいところ」

目的はなんなのか、色々な制限がある中でどこに価値をおくのか。

完璧を基準にしてしまうとキリがない。

妥協ではなく、自分の描いたイメージと限られた時間の間に、折り合いをつけること。その中での最大価値を目指す。

そして振り返らずに一通りこなし、全体を掴んでから、修正をかけること。

なーんて最近読んだ文章の備忘録に書いておきました。

今はストレスなく、香りのいいコーヒーが飲めます。

やっぱりI love coffee!!!!

-65-

Chihiro Taiami

 

 

  • title
    カフェオレの渦が回る
  • date
    2024.04.30

コーヒーをカップに七分目くらいまで入れたら、ぐるぐるスプーンでかき混ぜて、そこに冷蔵庫から出したばかりの冷たい牛乳を九分目くらいまで入れる。

というのが私の好きな飲み方と温度である。

「である」と言えばちびまる子ちゃんである。声優のTARAKOさんが亡くなったニュースで、初代ナレーションのキートン山田さんが

「まるこよ、友蔵と順番が逆であろう」

とコメントしていた。友蔵には申し訳ないけどすごく面白くて、そのあと涙が出そうになった。

ここぞというところで私はなかなか泣けない。結婚式で両親への手紙を読む時もそうだった。緊張からぶっきらぼうに読んでしまって、そのことをあとからだいぶ悔やんだ。今ならその時の自分に大丈夫だよと言ってあげられるけど、もしまた同じ状況になったら、今の自分もまたきっと同じ読み方をして、その後同じ心境になると思う。

でも、さっきのキートン山田さんのようなことに出くわしてしまうと、頭で考える間もなく、ぶわっと涙が溢れ、言葉を発しようとするともう声が震えてしまう。

タモリの弔辞もそうだった。その話をしている人が、他人にどう思われるかは関係ない、たった一人の相手のためだけの嘘偽りのない本音を伝えていると感じるからだ。

そう考えると、結婚式での私は、両親に伝えたい思いというよりも、他の人も聞いているということの方に気がいってしまったようだ。

さて、話はカフェオレに戻るが、かき混ぜたコーヒーの中に牛乳を注ぐと、コーヒーより比重が重いので、渦になってそのままあっという間に混ざっていく。

それを覗き込んでいると、やっぱりこの世界は回っているんだと思う。

今ここに生きているだけで、自分も何かの流れの一部になっていて、動力に押されて進んでいる。

同じでいようとしたり留まろうすると、そのことだけにすごいパワーが必要になるんじゃないかと思う。

変わったり、歳をとったり、循環していくのが自然なことで、変わりながら変わらないこと、自分を整えながら、その流れに背中を押してもらいながら、イメージした方へ進んでいくことが、世界の一部であることなんじゃないかな。

ちびまる子ちゃんのお月見の回では、友蔵が

「満月や流れ流れて幾年月や」

という俳句を読んでまる子に意味を聞かれ、雰囲気だけで詠んだだけだったため

「満月はいつもグルグル回っていて何年も何年もグルグル回っているっていう意味じゃ」

と答えにならない答えをしている場面があったが、私はこの句が好きだ。

コーヒーに注いだ牛乳の渦を覗き込みながら、友蔵の頭も私の頭も、今日もぐるぐる回っている。

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Chihiro Taiami

  • title
    サンちゃん
  • date
    2024.03.23

うちにはサンちゃんという名まえの金魚がいる。

対面キッチンの細い棚の上、涼しげに金魚鉢の中を泳いでいる。ちょっと不安定な場所のような気もするが、届くところに置くとまだ小さな子どもが手を突っ込むし、日当たりもちょうどよいのでここにいてもらっている。

帰ってきて手を洗うとき、スイスイと泳ぐサンちゃんは必ず視界に入ってくる。お祭りの金魚すくいで取れずに、おじさんがおまけしてくれたサンちゃん。金魚鉢が小さくなってきたな。

この金魚鉢は先代のコメちゃんという金魚の時に買ったものだけど、コメは家に来て二ヶ月ほどで羽が生えて旅立っていってしまった。

サンちゃんは強く、多少の過酷な環境でも生きている。私がインフルエンザになったとき、うがいをしようと思ったら急に咳が出て、ゴブォッと金魚鉢にあらん限りの唾を飛ばしてしまった。しかも辛いから、サンちゃんごめんと思いながらも、回復するまでそのままだった。それでもなんともないわというふうに泳いでいた(すごい嫌だったかもしれない)

まだ一歳の末っ子は、サンちゃんを見るのが好きで、ダイニングテーブルの上によじ登り顔を近づけすぎて、金魚鉢ごとシンクの中におっことした。サンちゃんピクピク…九死に一生を得た。排水溝の金網まで流れなくて本当によかった。

夏にじいちゃんが釣ってきた数十匹のサバを、目の前でバッタバッタとさばいていく様は、目を覆いたくなったかもしれない。小麦粉つけて、卵つけて、パン粉つけて…ああっあんな姿にっ。フライは最高だったなー。

サンちゃんよりはるかにでかいホッケも、うちではよく出てくるが、魚焼きコンロに入れられ、出てきたころにはじゅーじゅーと油の乗ったいい匂い。

金魚鉢を洗うときは、水を張ったボウルに、ラーメンのレンゲで一時移し替える。台所に住んでいるが故、食われるわけではないのに、食器と共存する暮らしぶりだ。

私が気分よくコーヒーを淹れるのもサンちゃんの目の前だ。

ちょろちょろ、ふわぁ〜ん、ぽたたたた…

このいい音と香りを、最初にサンちゃんと共有する。

うちにいてたいしたおかまいもできないし、色々ご迷惑もおかけしているが、これだけはちょっとおもしろい環境だと思ってはくれないだろうか。

サンちゃんは今日も、日のひかりに照らされた金魚鉢の中を、大きくなったり小さくなったりしながらキラキラ泳いでいる。

-63-

Chihiro Taiami