Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。
  • title
    「の」の字
  • date
    2025.02.02

今朝もコーヒーを淹れていて、ふと思いました。コーヒーはどうして「の」の字に注ぐのか?

なんの疑いもなく、ハンドドリップするときは、何日も何年も当たり前のように「の」の字で淹れてきました。「かもめ食堂」の映画でも、おじさんは「コピ・ルアック」と唱えたあと、お湯をくるくる注いでます。

最初に粉の真ん中から外に向かって軽く一巻き。粉が膨らんでいくのを確認したら、続けて二巻き、三巻き…外にいったりうちに戻ったり。お湯の落ちるスピードや着地点で粉の形が変わって行くのを見ると、無心になり、いつしか駒をつまんで世界を創っているかみさまのような気がしてきます。かみさまって案外ぼんやり世界を創ってたんでしょうか。

よく言われるのは「の」の字なんですが、てん、てんと垂らしながら注いでいくという違うやり方もあるみたいですね。

要は同じところに注ぎすぎてはいけない、ということを意味しているらしいです。

コーヒーの成分は、お湯を注ぐと、粉の中心から表面へゆっくり出てくるので、同じ所に注ぎすぎてしまうと、成分がなくなった粉の所をお湯が流れているだけになり、薄いコーヒーになってしまう。

だから、ゆっくり注ぐと濃い味わいになったり、速く注ぐとスッキリした味になったりする、なんていうのもお湯のスピードと粉の当たる面の関係によるものなんですね。

またお湯の温度によっても出てくる成分で苦味や甘みのバランスが変わります。

速さ、温度、愛情、偶然のなにか…注いだもので出来上がるコーヒーは、人生に似てる!?

さぁ今日も、自分のペースで回していくとしよ。

参考:「コーヒー「こつ」の科学」 石脇智広

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Chihiro Taiami

  • title
    ほん
  • date
    2024.11.21

珈琲のお供、トーストやスイーツなどあげればキリがないけれど、私にとっての一番は本。平穏という言葉はこの二つが目の前に並んだ瞬間にあるようなもの。

今年は、幼い頃から親しんだ絵本作家や作家さんの訃報が続いた。

「ねないこだれだ」などオバケシリーズのせなけいこさん、

「ぐりとぐら」の中川李枝子さん、

「はれときどきぶた」の矢玉四郎さん、

漫画家の楳図かずおさん、鳥山明さん、

詩人・翻訳家の谷川俊太郎さん。

小さい頃読んだ本のことを思い出すと、不思議だが、友達の家で読んだ本や、貸してもらった本の方が強く記憶に残っている。というのも、我が家も両親ともに本好きで絵本もあったはずだけど、誤解を恐れずに言うとふつうできれいなかんじの絵本だったんだと思う。

それに比べると借りた本は「ねないこだれだ」にしても「はれときどきぶた」にしてもインパクトがあって、ストーリーも絵もなんだか癖があって面白かった。まぁそれは好みなんだろうけど、生まれて数年でも好きな趣向というのは存在してて、今とほとんど変わらないアンテナでキャッチしていたんだなと振り返る。

亡くなってしまったニュースは悲しいけれど、名前が並ぶと好きな絵本の背表紙を見つけたようで、穏やかな気持ちにもなる。そしてみなさん八十歳、九十歳を越えて長生きである。

創作って大変だと思うが(軽い言い方ですみません)モノを作る人はオリジナルを追求するよりも、自分を無にしている感じがする。そして子どもの頃必ずみんなが持っている、発見したり何かができるようになった時の嬉しい気持ちや、これはどうなっているのかな?というワクワクや疑問を、ずっと持ち続けているんじゃないだろうか。

Tシャツと短パン、泥だらけの身軽なままで、公園の緑のフェンスよじ登ってどこまでも行っちゃいそう。

前に、テレビで「魔女の宅急便」の作者・角野栄子さんが「子どもに喜んでもらおうと思って書いたらきっと子どもには響かない。自分が面白いと思うことを書く」というようなことを言っていた。絵本も児童書も、何歳になって読んでも「ねぇねぇ聞いてよ!」と気さくに話しかけてくれるような感じがするのはそのためかなと思った。

そういえば大好きだったアニメの声優さんたちも、次の巻へ行ってしまった。

今年の天国はにぎやかだろう。

悟空とブウが空中戦してる下で、ちびまるこちゃんがフーッとお茶飲んで、ぐりとぐらがちょろちょろして、ドラえもんがヘンテコな秘密道具を出してる横で、まことちゃんがグワシ!してるかもしれない。

あ、やっぱりちょっとさみしい。

一人でページをめくる幸せを、初めて教えてくれたみなさんに感謝します。

いっちょまえに珈琲を飲むような歳になったけど、ずっと大好きです。

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Chihiro Taiami

  • title
    虫歯と靴下とコーヒーの日
  • date
    2024.10.02

昨日はコーヒーの日でした。

しかしコーヒーを楽しむ一日にはなれず…オーマイガー虫歯day!!!

やっと行けた歯医者さんは神さまに見えた。受付の人も歯科衛生士さんもみんなみんなありがとう。みなさん歯を大切に。

自分で懲りて本当に虫歯になってほしくないので、この日はこどもの歯磨きも嫌がられるくらいやりました。

さて、コーヒーの日とはどんな日でしょうか?

世界で2015年に定められた「国際コーヒーの日」。コーヒー豆の一大産地であるブラジルで、10月1日が新年度となっています。つまりお米で言う新米のようなものですね。新しいサイクルでの収穫が、この日から始まります。

また日本では、世界より30年以上前の1983年に、全日本コーヒー協会によって、同じ日に「コーヒーの日」が定められていました。暑さが落ち着いて涼しくなってきたこの時期に、ホットコーヒーが飲みたくなるからです。わかりやすい!

とにかく「10月1日はコーヒーの日」と言うことを覚えていただけると嬉しいです。

コーヒーの誕生日みたいに、今日の一杯をちょっと特別に感じる。育ててくれた親みたいに、産地の方に感謝したくなる。近所のおっちゃんやおばちゃんたちみたいに、ここまで見守り運んできてくれた方々。

目の前のコーヒーに出会えたのは、そんな人たちのおかげです。

コーヒーの木には、ジャスミンの香りのような真っ白な花が咲き、赤や黄色の実がなります。花言葉は「一緒に休みましょう」。

ちなみに先日、私はあまりにも忙しくあまりにも疲れていた時に、10分だけ寝たいとソファに倒れ込み、自分の履いていた臭い靴下をアイマスクがわりに休みました。

コーヒーがあったらもっと良かったな、と思います。

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Chihiro Taiami

  • title
    のびろどこまでも
  • date
    2024.08.06

夏休み あー夏休み 夏休み

夏の青空を見上げて、一句読みたくなった。祖父が俳句好きで、今日みたいな暑い日に裏の公園で蝉が鳴いているのを聞きながら、隣に座って詠むのを聞いていた。俳句ってその時の感情がばーっと出るようなものなのかな。

というわけで、私は今、夏休み一色の毎日だ。

我が家は住宅街の一番はじの方にある。隣には畑が広がっていて、青い空と白い雲、緑の畑のコントラストが、夏は本当に美しいと思う。

今はネギ畑が広がっているけど、時期によってマリーゴールドだったり、ひまわりだったり。遮るもののない空間に、心と体もどこまでも伸びていく気がする。

以前は自分の時間のない時ほど、少しでもやりたいことをやる時間を作りたいと、夜中に頑張って起きたり、隙間を見つけては家事を詰め込んだり、何かしようとしていた。

でも今年の夏は、子どもたちと同じ、いや子どもの頃と同じ「夏休み」を過ごそうと決めた。

畑、虫捕り、水遊び、洗濯畳んで、昼ご飯。そこそこ家事は家族みんなで振り分けて、あとはどうとでも動けるように。この余白に、なんだかんだイレギュラーなことが入ってくるから、結局はそれで帳尻が合って一日が終わる。

「時間は未来から過去に流れている」

そんなことを、友人が言っていた。

彼女は今、セントルシアという南米の島にいる。こちらは夜の十時。向こうは朝。彼女の背景に映る部屋は、濃い黄色の壁で、カメラを回してベランダの窓から植物が生い茂っている景色を見せてくれた。鳥の鳴き声もかなり大きく聞こえた。知り合いの店でネイルをやってもらったがいまいちだったとか、そんな他愛もない話をしていたっけ。日本を発ってからずいぶん髪が伸びて、綺麗になったなと思った。

遠くて近い電話を切ってから、彼女が不意に言った「時間」のことが、すごく面白いと思って考えていた。

ただ押し流されるように過ごしている時間だけど、タイムマシンのようにそこをぴょんぴょん移動することは可能なのだろうか。

「今」で解決しないことを、過去や未来にひとり時間旅行をして、見る場所を変えて納得するまでじーっと見てみたり。

かっこ悪いこと、失敗したこと、意味ないようなこと、そんな一瞬は、他人からの視点ではきっと矢のように通りすぎていく。みんなそれぞれ自分のことで忙しいから。

多分、時間は一直線上ではないんじゃないかと思う。

「今」は確かだけど、過去はフワーッとしてるし、未来には遮るものはない。

青空と白い雲と夏休み。

心を込めて淹れたコーヒーの香り。

遮るものはないから、

のびろどこまでも。

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Chihiro Taiami

  • title
    珈琲 妖怪 アドレナリン
  • date
    2024.07.02

「水木しげるの妖怪百鬼夜行展〜お化けたちはこうして生まれた〜」

札幌芸術の森にて6月29日(土)〜8月25日(日)開催。

半月前から家のトイレには、新聞に載っていた展覧会の紹介記事の切り抜きを貼っておいた。子供たちは大入道の絵を見て「これ、妖怪は細かいけど後ろは塗り方が雑だね」などと言いながら、それぞれ十分予習をしたようだ。

訪れた当日の朝。私は四時起き、家族は四時半起き。

前日から用意した荷物のほかに、直前の準備はコーヒーだけ。朝っぱらから全開の電動ミルで粉砕されたコーヒー豆の匂いが、今日のワクワクをすでに象徴している。

今朝コーヒーを落とすのは小学二年生の次男。母が誰かに淹れてもらったコーヒーを飲みたいという理由で、我が家のアルバイトの一つになっている。人はやってもらいたいことにはお金を払いたくなるものだと思う。

むくむく膨らむ新鮮なコーヒーの粉に感動する次男と私。

小さなバリスタの正確な軽量で、最高のコーヒーが入りました。マグボトルに入れ、準備が整った家族たちと車に乗り込む。

夏の朝はもう明るい。それでもやっぱり早朝は空気が澄んでいて気持ちがいい。

道南の片田舎から走ること数時間、芸術の森に着いたのは開場十数分前。気持ちのいい天気の中、会場までゆっくり歩いていくと、子供たちが死んだ虫に群がる赤アリを見つけ観察を始める。すでにたくさんの人が並んでいた。

看板やポスターを前に興奮状態。米子の妖怪ロードで鬼太郎の着ぐるみに会った時のように、奇声をあげそうになるのをグッとこらえた。

会場内に入ってからは、末っ子をガッチリ捕まえながら舐め回すように展示を見る。私にとってはもう別世界に行ったようだった。

しげるが「神田の古書店で古い妖怪の本を見つけた時にはこれだーーーー!!と膝を打った」というパネルの前では、私も膝を打った。

妖怪を描く上で参考にした研究者や画家の展示コーナーもあった。

鳥山石燕、竹原春泉斎、柳田國男、井上円了などの本は私も読んできたが、中でも「おばけ博士」こと井上円了は、妖怪なんていないということを証明するため、逆に全国各地の妖怪を研究したという面白い人。しげるの「否定しつつもなぜかこの人が誰より妖怪のことを知っている」というコメントに愛を感じた。

特にすごいと思ったのは、山や家など生息する場所ごとに妖怪画が展示されたコーナー。

あれは原画だったのだろうか?細かさに感動すると同時に、角度を変えてみると光の加減で筆の運びも見え、しげるが描いているところがイメージできた。それは本で見る整った画とは違って、自分と同じ人間が、真剣に描いているんだという気持ちになった。

ところどころ立体の展示もあった。子供は子泣き爺に顔を近づけすぎて、スタッフに注意されていた。

展示は館内だったが、入る時と出る時、自然と調和した芸術の森に、妖怪たちが喜んでいるようだった。

出口を通り抜ける頃、キャップのつばを後ろに回し、本気で挑んでいた自分に気がついた。

「仕事は決戦、リクツなし」

その使命を見て、

「好きなことだけやりなさい」

しげるの声が聞こえた気がした。

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Chihiro Taiami