朝のコーヒー。
下げられた食器やら作りかけのお弁当やら、食べかけのトースト、そんなのにまぎれてキッチンに置いてある。
かじってエキスの吸われたオレンジの皮の横。目玉焼きで使ったあとの油のついたフライがえしがのっかる場所。残ったごま塩がのった小皿の脇。
一日一日があっという間に過ぎて、何か一つのことを味わえただろうかと思う時もあるけど、不思議と切り取られたようにはっきり覚えている場面もある。
それがこんな朝のコーヒー。
朝ごはんを作ったり、食器を洗ったり、水筒に麦茶を注ぐ、というようなちょっとした作業の時でさえ、その傍らに、止まったように置いてあるコーヒーが見える。
家族を送り出してほっとして飲んだコーヒーではなく、ましてやカフェや喫茶店でゆっくり飲めたコーヒーではない、あの忙しさの中のコーヒー。
ミッションインポッシブルのトムクルーズのように、目の前のミッションに相対しながら、直視しているわけではないが景色の中にぼんやりとコーヒーを感じている。ただし、コーヒーから送られてくる指令は何もない。コーヒーは私に何も求めていない。ただ私がコーヒーを飲むためにがむしゃらに何かをやっているだけだ。
静止したあのコーヒーに手が伸びるかどうか…というアレが、私が死ぬ前に思い出すコーヒーと、ありふれた日常の記憶の一つになるかもしれないなぁ。
きっとこんな朝がいつまでも続くわけじゃない。
特別なものではないけれど、この朝のコーヒーは、これから先、同じ味でも香りでも作れないコーヒーだ。
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Chihiro Oshima