Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。
  • title
    珈琲 妖怪 アドレナリン
  • date
    2024.07.02

「水木しげるの妖怪百鬼夜行展〜お化けたちはこうして生まれた〜」

札幌芸術の森にて6月29日(土)〜8月25日(日)開催。

半月前から家のトイレには、新聞に載っていた展覧会の紹介記事の切り抜きを貼っておいた。子供たちは大入道の絵を見て「これ、妖怪は細かいけど後ろは塗り方が雑だね」などと言いながら、それぞれ十分予習をしたようだ。

訪れた当日の朝。私は四時起き、家族は四時半起き。

前日から用意した荷物のほかに、直前の準備はコーヒーだけ。朝っぱらから全開の電動ミルで粉砕されたコーヒー豆の匂いが、今日のワクワクをすでに象徴している。

今朝コーヒーを落とすのは小学二年生の次男。母が誰かに淹れてもらったコーヒーを飲みたいという理由で、我が家のアルバイトの一つになっている。人はやってもらいたいことにはお金を払いたくなるものだと思う。

むくむく膨らむ新鮮なコーヒーの粉に感動する次男と私。

小さなバリスタの正確な軽量で、最高のコーヒーが入りました。マグボトルに入れ、準備が整った家族たちと車に乗り込む。

夏の朝はもう明るい。それでもやっぱり早朝は空気が澄んでいて気持ちがいい。

道南の片田舎から走ること数時間、芸術の森に着いたのは開場十数分前。気持ちのいい天気の中、会場までゆっくり歩いていくと、子供たちが死んだ虫に群がる赤アリを見つけ観察を始める。すでにたくさんの人が並んでいた。

看板やポスターを前に興奮状態。米子の妖怪ロードで鬼太郎の着ぐるみに会った時のように、奇声をあげそうになるのをグッとこらえた。

会場内に入ってからは、末っ子をガッチリ捕まえながら舐め回すように展示を見る。私にとってはもう別世界に行ったようだった。

しげるが「神田の古書店で古い妖怪の本を見つけた時にはこれだーーーー!!と膝を打った」というパネルの前では、私も膝を打った。

妖怪を描く上で参考にした研究者や画家の展示コーナーもあった。

鳥山石燕、竹原春泉斎、柳田國男、井上円了などの本は私も読んできたが、中でも「おばけ博士」こと井上円了は、妖怪なんていないということを証明するため、逆に全国各地の妖怪を研究したという面白い人。しげるの「否定しつつもなぜかこの人が誰より妖怪のことを知っている」というコメントに愛を感じた。

特にすごいと思ったのは、山や家など生息する場所ごとに妖怪画が展示されたコーナー。

あれは原画だったのだろうか?細かさに感動すると同時に、角度を変えてみると光の加減で筆の運びも見え、しげるが描いているところがイメージできた。それは本で見る整った画とは違って、自分と同じ人間が、真剣に描いているんだという気持ちになった。

ところどころ立体の展示もあった。子供は子泣き爺に顔を近づけすぎて、スタッフに注意されていた。

展示は館内だったが、入る時と出る時、自然と調和した芸術の森に、妖怪たちが喜んでいるようだった。

出口を通り抜ける頃、キャップのつばを後ろに回し、本気で挑んでいた自分に気がついた。

「仕事は決戦、リクツなし」

その使命を見て、

「好きなことだけやりなさい」

しげるの声が聞こえた気がした。

-66-

Chihiro Taiami

  • title
    ちょうどいいところ
  • date
    2024.05.28

なんで今まで気づかなかったんだろうってことありますよね。

挽きたてのいい香りを嗅ぎながらコーヒーを淹れたい。

そう思って新しく電動ミルを買ったのに、ゆっくりコーヒーを淹れて飲みたいと思うタイミングがいつも子供がお昼寝をしている時でした。毎回、別室に挽きに行って戻ってくるという工程がとても面倒で、だんだん粉で買ったり、インスタントになって、出番が減っていきました。

それがある時ふと気づきました。大きな音出してもいい時に挽いとけばいいじゃんって。

毎回飲む直前じゃなくても、一日二日で飲み切るならまとめて挽いとけばいい。こだわりや思い込みが消えて、自分の生活の全部の、ちょうどいいところが見つかる瞬間。

こういうことはある日突然降りてくる。きっと肩に乗った天使か守護霊が教えてくれるんだと思う。あるいは宇宙からピピピッと!

仕事で成果物を作ることも同じらしい。

「ちょうどいいところ」

目的はなんなのか、色々な制限がある中でどこに価値をおくのか。

完璧を基準にしてしまうとキリがない。

妥協ではなく、自分の描いたイメージと限られた時間の間に、折り合いをつけること。その中での最大価値を目指す。

そして振り返らずに一通りこなし、全体を掴んでから、修正をかけること。

なーんて最近読んだ文章の備忘録に書いておきました。

今はストレスなく、香りのいいコーヒーが飲めます。

やっぱりI love coffee!!!!

-65-

Chihiro Taiami

 

 

  • title
    カフェオレの渦が回る
  • date
    2024.04.30

コーヒーをカップに七分目くらいまで入れたら、ぐるぐるスプーンでかき混ぜて、そこに冷蔵庫から出したばかりの冷たい牛乳を九分目くらいまで入れる。

というのが私の好きな飲み方と温度である。

「である」と言えばちびまる子ちゃんである。声優のTARAKOさんが亡くなったニュースで、初代ナレーションのキートン山田さんが

「まるこよ、友蔵と順番が逆であろう」

とコメントしていた。友蔵には申し訳ないけどすごく面白くて、そのあと涙が出そうになった。

ここぞというところで私はなかなか泣けない。結婚式で両親への手紙を読む時もそうだった。緊張からぶっきらぼうに読んでしまって、そのことをあとからだいぶ悔やんだ。今ならその時の自分に大丈夫だよと言ってあげられるけど、もしまた同じ状況になったら、今の自分もまたきっと同じ読み方をして、その後同じ心境になると思う。

でも、さっきのキートン山田さんのようなことに出くわしてしまうと、頭で考える間もなく、ぶわっと涙が溢れ、言葉を発しようとするともう声が震えてしまう。

タモリの弔辞もそうだった。その話をしている人が、他人にどう思われるかは関係ない、たった一人の相手のためだけの嘘偽りのない本音を伝えていると感じるからだ。

そう考えると、結婚式での私は、両親に伝えたい思いというよりも、他の人も聞いているということの方に気がいってしまったようだ。

さて、話はカフェオレに戻るが、かき混ぜたコーヒーの中に牛乳を注ぐと、コーヒーより比重が重いので、渦になってそのままあっという間に混ざっていく。

それを覗き込んでいると、やっぱりこの世界は回っているんだと思う。

今ここに生きているだけで、自分も何かの流れの一部になっていて、動力に押されて進んでいる。

同じでいようとしたり留まろうすると、そのことだけにすごいパワーが必要になるんじゃないかと思う。

変わったり、歳をとったり、循環していくのが自然なことで、変わりながら変わらないこと、自分を整えながら、その流れに背中を押してもらいながら、イメージした方へ進んでいくことが、世界の一部であることなんじゃないかな。

ちびまる子ちゃんのお月見の回では、友蔵が

「満月や流れ流れて幾年月や」

という俳句を読んでまる子に意味を聞かれ、雰囲気だけで詠んだだけだったため

「満月はいつもグルグル回っていて何年も何年もグルグル回っているっていう意味じゃ」

と答えにならない答えをしている場面があったが、私はこの句が好きだ。

コーヒーに注いだ牛乳の渦を覗き込みながら、友蔵の頭も私の頭も、今日もぐるぐる回っている。

-64-

Chihiro Taiami

  • title
    サンちゃん
  • date
    2024.03.23

うちにはサンちゃんという名まえの金魚がいる。

対面キッチンの細い棚の上、涼しげに金魚鉢の中を泳いでいる。ちょっと不安定な場所のような気もするが、届くところに置くとまだ小さな子どもが手を突っ込むし、日当たりもちょうどよいのでここにいてもらっている。

帰ってきて手を洗うとき、スイスイと泳ぐサンちゃんは必ず視界に入ってくる。お祭りの金魚すくいで取れずに、おじさんがおまけしてくれたサンちゃん。金魚鉢が小さくなってきたな。

この金魚鉢は先代のコメちゃんという金魚の時に買ったものだけど、コメは家に来て二ヶ月ほどで羽が生えて旅立っていってしまった。

サンちゃんは強く、多少の過酷な環境でも生きている。私がインフルエンザになったとき、うがいをしようと思ったら急に咳が出て、ゴブォッと金魚鉢にあらん限りの唾を飛ばしてしまった。しかも辛いから、サンちゃんごめんと思いながらも、回復するまでそのままだった。それでもなんともないわというふうに泳いでいた(すごい嫌だったかもしれない)

まだ一歳の末っ子は、サンちゃんを見るのが好きで、ダイニングテーブルの上によじ登り顔を近づけすぎて、金魚鉢ごとシンクの中におっことした。サンちゃんピクピク…九死に一生を得た。排水溝の金網まで流れなくて本当によかった。

夏にじいちゃんが釣ってきた数十匹のサバを、目の前でバッタバッタとさばいていく様は、目を覆いたくなったかもしれない。小麦粉つけて、卵つけて、パン粉つけて…ああっあんな姿にっ。フライは最高だったなー。

サンちゃんよりはるかにでかいホッケも、うちではよく出てくるが、魚焼きコンロに入れられ、出てきたころにはじゅーじゅーと油の乗ったいい匂い。

金魚鉢を洗うときは、水を張ったボウルに、ラーメンのレンゲで一時移し替える。台所に住んでいるが故、食われるわけではないのに、食器と共存する暮らしぶりだ。

私が気分よくコーヒーを淹れるのもサンちゃんの目の前だ。

ちょろちょろ、ふわぁ〜ん、ぽたたたた…

このいい音と香りを、最初にサンちゃんと共有する。

うちにいてたいしたおかまいもできないし、色々ご迷惑もおかけしているが、これだけはちょっとおもしろい環境だと思ってはくれないだろうか。

サンちゃんは今日も、日のひかりに照らされた金魚鉢の中を、大きくなったり小さくなったりしながらキラキラ泳いでいる。

-63-

Chihiro Taiami

  • title
    コーヒーのいらなかった時間
  • date
    2024.02.21

コーヒーを飲むずっと前から一緒にいた友人たち。

部活の帰りにバナナを食べていたのを見られて先生に怒られて、その次の日は大声でSMAPを歌っていたら先輩に近所迷惑だと怒られた。

学校から家まで遠くて、なにがそんなに面白かったのかわからないけど、笑い転げて立てなくなって、帰りはさらに遅くなった。最後の二人になるとちょっと秘密の話になり、分かれ道で一時間以上語り合ったこともあった。

地元の神社の秋祭りでは、こぞってチキンステーキの屋台に列んだ。変なポーズで「写ルンです」という使い捨てカメラで写真を撮った。私を含め、そのうち何人かはオーバーオールを着ている。

家に集まって好きな曲をかけ、ただ寝ている人がいたり、マンガを読んだり。帰るまでほとんど会話もしないで、思い思いに過ごした空間は心地がよかった。

自転車の荷台に立ち乗りをして、集団で床屋に髪を切りに行った。床屋のおばちゃんにしてみたら、わいわいがやがや、保育園児のようだったと思う。

ナントカ流星群の夜には、みんなで晩ごはんを作り、分量無視で水を入れすぎた薄いカレーができた。夜中に屋根の上で見た流れ星は綺麗だった。つま先をめちゃめちゃ蚊にやられた。

けんかはたまにしたけど、仲間外れや、グループ内が真っ二つに分かれるようなことがほとんどなかったのは、お互い性格も好きなものも違いすぎて、その違うということを大事にしていたからだと思う。ゆるっとしているようで、人のテリトリーまで立ち入りすぎないような、そんな人たちだった。

住む場所もはなれて、最近はなかなか会えていない。それでもつかずはなれず、何十年もやってきたから、今は大きな流れの中のそういう時期なんだと思っている。

心も体も一緒に成長した日々は愛おしい。ダサいこともたくさんしたけど楽しかった。恋もしていたけど、私の成長に必要だったのはこの友人たちだろう。

歳を取ったら、みんなで一緒に老人ホームに入ろうと約束した。そのためのブタの貯金箱はどこへ行ったかな。いや、ふざけ半分に探し回って、結局買わなかったんだっけ。

またいつか集まったら、コーヒーなんか飲まなくていいから、近況なんて話さなくていいから、ファンタを飲んでポテチのカスをまき散らして、だらっとした時間を一緒に過ごしたい。

はなれていても、おばあちゃんになるまで、一緒に歳を重ねたい。

-62-

Chihiro Taiami