Coffee Column
ブラウンブックスカフェのコーヒーにまつわる日々のコラム

Yoko Hoshikawa
ブラウンブックスカフェ/ブラウンブックスヴィンテージ店主。
コーヒーとHip Hop を愛する2児の母。札幌在住。
Chihiro Taiami
妖怪が大好きな円山店時代の元スタッフ。
4人の子供の育児の合間に当店のコラムを担当している。道南在住。
  • title
    ちょうどいいところ
  • date
    2024.05.28

なんで今まで気づかなかったんだろうってことありますよね。

挽きたてのいい香りを嗅ぎながらコーヒーを淹れたい。

そう思って新しく電動ミルを買ったのに、ゆっくりコーヒーを淹れて飲みたいと思うタイミングがいつも子供がお昼寝をしている時でした。毎回、別室に挽きに行って戻ってくるという工程がとても面倒で、だんだん粉で買ったり、インスタントになって、出番が減っていきました。

それがある時ふと気づきました。大きな音出してもいい時に挽いとけばいいじゃんって。

毎回飲む直前じゃなくても、一日二日で飲み切るならまとめて挽いとけばいい。こだわりや思い込みが消えて、自分の生活の全部の、ちょうどいいところが見つかる瞬間。

こういうことはある日突然降りてくる。きっと肩に乗った天使か守護霊が教えてくれるんだと思う。あるいは宇宙からピピピッと!

仕事で成果物を作ることも同じらしい。

「ちょうどいいところ」

目的はなんなのか、色々な制限がある中でどこに価値をおくのか。

完璧を基準にしてしまうとキリがない。

妥協ではなく、自分の描いたイメージと限られた時間の間に、折り合いをつけること。その中での最大価値を目指す。

そして振り返らずに一通りこなし、全体を掴んでから、修正をかけること。

なーんて最近読んだ文章の備忘録に書いておきました。

今はストレスなく、香りのいいコーヒーが飲めます。

やっぱりI love coffee!!!!

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Chihiro Taiami

 

 

  • title
    カフェオレの渦が回る
  • date
    2024.04.30

コーヒーをカップに七分目くらいまで入れたら、ぐるぐるスプーンでかき混ぜて、そこに冷蔵庫から出したばかりの冷たい牛乳を九分目くらいまで入れる。

というのが私の好きな飲み方と温度である。

「である」と言えばちびまる子ちゃんである。声優のTARAKOさんが亡くなったニュースで、初代ナレーションのキートン山田さんが

「まるこよ、友蔵と順番が逆であろう」

とコメントしていた。友蔵には申し訳ないけどすごく面白くて、そのあと涙が出そうになった。

ここぞというところで私はなかなか泣けない。結婚式で両親への手紙を読む時もそうだった。緊張からぶっきらぼうに読んでしまって、そのことをあとからだいぶ悔やんだ。今ならその時の自分に大丈夫だよと言ってあげられるけど、もしまた同じ状況になったら、今の自分もまたきっと同じ読み方をして、その後同じ心境になると思う。

でも、さっきのキートン山田さんのようなことに出くわしてしまうと、頭で考える間もなく、ぶわっと涙が溢れ、言葉を発しようとするともう声が震えてしまう。

タモリの弔辞もそうだった。その話をしている人が、他人にどう思われるかは関係ない、たった一人の相手のためだけの嘘偽りのない本音を伝えていると感じるからだ。

そう考えると、結婚式での私は、両親に伝えたい思いというよりも、他の人も聞いているということの方に気がいってしまったようだ。

さて、話はカフェオレに戻るが、かき混ぜたコーヒーの中に牛乳を注ぐと、コーヒーより比重が重いので、渦になってそのままあっという間に混ざっていく。

それを覗き込んでいると、やっぱりこの世界は回っているんだと思う。

今ここに生きているだけで、自分も何かの流れの一部になっていて、動力に押されて進んでいる。

同じでいようとしたり留まろうすると、そのことだけにすごいパワーが必要になるんじゃないかと思う。

変わったり、歳をとったり、循環していくのが自然なことで、変わりながら変わらないこと、自分を整えながら、その流れに背中を押してもらいながら、イメージした方へ進んでいくことが、世界の一部であることなんじゃないかな。

ちびまる子ちゃんのお月見の回では、友蔵が

「満月や流れ流れて幾年月や」

という俳句を読んでまる子に意味を聞かれ、雰囲気だけで詠んだだけだったため

「満月はいつもグルグル回っていて何年も何年もグルグル回っているっていう意味じゃ」

と答えにならない答えをしている場面があったが、私はこの句が好きだ。

コーヒーに注いだ牛乳の渦を覗き込みながら、友蔵の頭も私の頭も、今日もぐるぐる回っている。

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Chihiro Taiami

  • title
    サンちゃん
  • date
    2024.03.23

うちにはサンちゃんという名まえの金魚がいる。

対面キッチンの細い棚の上、涼しげに金魚鉢の中を泳いでいる。ちょっと不安定な場所のような気もするが、届くところに置くとまだ小さな子どもが手を突っ込むし、日当たりもちょうどよいのでここにいてもらっている。

帰ってきて手を洗うとき、スイスイと泳ぐサンちゃんは必ず視界に入ってくる。お祭りの金魚すくいで取れずに、おじさんがおまけしてくれたサンちゃん。金魚鉢が小さくなってきたな。

この金魚鉢は先代のコメちゃんという金魚の時に買ったものだけど、コメは家に来て二ヶ月ほどで羽が生えて旅立っていってしまった。

サンちゃんは強く、多少の過酷な環境でも生きている。私がインフルエンザになったとき、うがいをしようと思ったら急に咳が出て、ゴブォッと金魚鉢にあらん限りの唾を飛ばしてしまった。しかも辛いから、サンちゃんごめんと思いながらも、回復するまでそのままだった。それでもなんともないわというふうに泳いでいた(すごい嫌だったかもしれない)

まだ一歳の末っ子は、サンちゃんを見るのが好きで、ダイニングテーブルの上によじ登り顔を近づけすぎて、金魚鉢ごとシンクの中におっことした。サンちゃんピクピク…九死に一生を得た。排水溝の金網まで流れなくて本当によかった。

夏にじいちゃんが釣ってきた数十匹のサバを、目の前でバッタバッタとさばいていく様は、目を覆いたくなったかもしれない。小麦粉つけて、卵つけて、パン粉つけて…ああっあんな姿にっ。フライは最高だったなー。

サンちゃんよりはるかにでかいホッケも、うちではよく出てくるが、魚焼きコンロに入れられ、出てきたころにはじゅーじゅーと油の乗ったいい匂い。

金魚鉢を洗うときは、水を張ったボウルに、ラーメンのレンゲで一時移し替える。台所に住んでいるが故、食われるわけではないのに、食器と共存する暮らしぶりだ。

私が気分よくコーヒーを淹れるのもサンちゃんの目の前だ。

ちょろちょろ、ふわぁ〜ん、ぽたたたた…

このいい音と香りを、最初にサンちゃんと共有する。

うちにいてたいしたおかまいもできないし、色々ご迷惑もおかけしているが、これだけはちょっとおもしろい環境だと思ってはくれないだろうか。

サンちゃんは今日も、日のひかりに照らされた金魚鉢の中を、大きくなったり小さくなったりしながらキラキラ泳いでいる。

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Chihiro Taiami

  • title
    コーヒーのいらなかった時間
  • date
    2024.02.21

コーヒーを飲むずっと前から一緒にいた友人たち。

部活の帰りにバナナを食べていたのを見られて先生に怒られて、その次の日は大声でSMAPを歌っていたら先輩に近所迷惑だと怒られた。

学校から家まで遠くて、なにがそんなに面白かったのかわからないけど、笑い転げて立てなくなって、帰りはさらに遅くなった。最後の二人になるとちょっと秘密の話になり、分かれ道で一時間以上語り合ったこともあった。

地元の神社の秋祭りでは、こぞってチキンステーキの屋台に列んだ。変なポーズで「写ルンです」という使い捨てカメラで写真を撮った。私を含め、そのうち何人かはオーバーオールを着ている。

家に集まって好きな曲をかけ、ただ寝ている人がいたり、マンガを読んだり。帰るまでほとんど会話もしないで、思い思いに過ごした空間は心地がよかった。

自転車の荷台に立ち乗りをして、集団で床屋に髪を切りに行った。床屋のおばちゃんにしてみたら、わいわいがやがや、保育園児のようだったと思う。

ナントカ流星群の夜には、みんなで晩ごはんを作り、分量無視で水を入れすぎた薄いカレーができた。夜中に屋根の上で見た流れ星は綺麗だった。つま先をめちゃめちゃ蚊にやられた。

けんかはたまにしたけど、仲間外れや、グループ内が真っ二つに分かれるようなことがほとんどなかったのは、お互い性格も好きなものも違いすぎて、その違うということを大事にしていたからだと思う。ゆるっとしているようで、人のテリトリーまで立ち入りすぎないような、そんな人たちだった。

住む場所もはなれて、最近はなかなか会えていない。それでもつかずはなれず、何十年もやってきたから、今は大きな流れの中のそういう時期なんだと思っている。

心も体も一緒に成長した日々は愛おしい。ダサいこともたくさんしたけど楽しかった。恋もしていたけど、私の成長に必要だったのはこの友人たちだろう。

歳を取ったら、みんなで一緒に老人ホームに入ろうと約束した。そのためのブタの貯金箱はどこへ行ったかな。いや、ふざけ半分に探し回って、結局買わなかったんだっけ。

またいつか集まったら、コーヒーなんか飲まなくていいから、近況なんて話さなくていいから、ファンタを飲んでポテチのカスをまき散らして、だらっとした時間を一緒に過ごしたい。

はなれていても、おばあちゃんになるまで、一緒に歳を重ねたい。

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Chihiro Taiami

  • title
    なにげない言葉たち
  • date
    2024.01.19

人はいろんな言葉に出会う。

愛犬がたった六歳で旅立ってしまったのは、高校生の時だった。

亡骸を抱いて、父は「ああすればよかった、こうすればよかったって思うこといっぱいあるしょ。そういうことってこれからもあるんだから。今の気持ち忘れるんでない。」と大泣きしながら函館訛りで言った。

子犬の時は可愛がっていたが、大きくなると面倒くさがってあまり散歩にも行かず、十分に愛情を伝えることもしなかった後悔はもうどうにもならない。でも、大事なものがそばにいるのは当たり前のことじゃない。犬と父が教えてくれたことは、それから一日たりとも消えていない。

友達と初めてバーに行った時、「何にもわからないんですけどどんなもの頼んだらいいですか」と聞いたら、マスターが「わからないことはこれからもそうやって素直に聞いたらいいよ。知ったかぶりしてる人には教える気なくなるからさ。」とクールに笑った。

バスの中で数分だけ隣り合わせたおばあちゃん。

私の腕の中でぐっすり眠る赤ちゃんを見て「抱っこできていいねぇ。私は、義母がずっと抱いてたから、ほとんど自分の子供を抱けなかったよ」と微笑みながら言った。

歩調を合わせて歩いたり、ぐずって抱っこしたりしながら歩いてきて、やれやれと乗ったバスだった。こうして重い思いをして抱けることは当たり前じゃないんだなと思った。

そして最後は、コーヒーの仕事に出会った時のこと。本気になれる仕事をしたいともがいている最中だった。面接で、普段コーヒーを飲んでいないことを伝えると、店長が

「じゃあまずはコーヒーを好きになってください」

と言った。この言葉は私に魔法をかけた。

「目の前の仕事を好きになる」

今もその魔法は解けていない。コーヒーだけにはとどまらず、どんな世界もそう見えるようになった。

こういう言葉は、かけてくれた人は覚えているんだろうか。多分覚えていないんじゃないかな。どや顔で言われたら、多分そこまで残らない。お互い通り過ぎるようになにげなく言ったり聞いたりしたから、すっと心の奥に届いた気がする。

これからもどんな出会いがあるかわからないけど、そんな言葉たちは、いつでも道の先を照らしてくれる、強くてあたたかな明かりです。

-61-

Chihiro Taiami