BLOG カテゴリー: 円山店の日々

2011年秋、円山の店の隣のアパート取り壊しにより、このままの形態ではこれ以上営業できなくなるという事になりました。絶対出たくないと、泣いて叫んで暴れてわめいても、どうにもすることができず、ただ受け入れなければならない。この建物から卒業するべき時がきたのです。

最初は正直、ブラウンブックスカフェは建物の魅力しかなかったと思う。でも改装期間入れて約5年、様々な自然災害とか貧乏期間を工夫し乗り越え(笑)、そのパワーみたいなものは、この建物では収まりきれない程だったのかもしれない。


お店は、目に見える建物や空間だけが全てじゃない。そう気づくまでなかなか諦めがつかなかった。

これ以上の物件はない。廃業も頭によぎりながら、お先真っ暗で、ショックを受けていた。

ちょうどその時、自分が客として通っていた(というより好きすぎて行かないようにしていたぐらいの)、はろー書店という洋書とアンティーク雑貨の店が閉店と聞き、それもショックで最後に買い物しに行った時、その後そのまま、うちが入ると言う約束をしてしまたった。笑

直感で、円山の物件を超える店はここしかないと思ったから。

そして、読めもしないチェコとかハンガリーとか世界各国の古書、今思うとアンティークだかなんだか知らない雑貨等、ダンボール数十箱分の15年分のはろー書店の在庫もそのまま買い取った。笑 

そうして新店舗の改装を始めた。

今度の改装は20坪!円山の倍の広さ。しかもすでに買い取った大量の荷物がある中での改装は本当に大変で、いちいち荷物を全部よけながら、はろー書店のイメージを払拭した方が良いのだろうか、円山のあの建物を出たら、ブラウンブックスカフェらしさって一体何なんだろうか。はろー書店、円山の店を超えるより素晴らしい店にしなくてはいけない…素晴らしい店って一体何なんだろう…と悩みまくってしばらく1人で別世界にいた。笑

体阿弥さんは、「あーまた店長、いま別世界にいるなー」と察してくれたに違いない。

毎日改装しながら、マックのハンバーガーと、みよしののカレー餃子ばかり食べいた。(だいたいお店オープン前は栄養不足で味覚障害になる。苦笑)


まみこさん(お客さん)、けんちゃん(お客さんの息子)、石本さん(友人)が毎日のように手伝いに来てくれた。

同級生の石本さんはこれを期にスタッフとして今も働いてくれている。涙

壁の色はまみこさんが提案してくれた”新しい芽の色”グリーン。ペンキを混ぜて色を出した。その後、西野店も4プラ店もこのグリーンがうちのカラーとなった。

円山の店はもしかしたら続けられる可能性も10%ぐらい残っていたので閉めないで体阿弥さんに任せて、とりあえず2012年1月5日新店舗オープン!!!

そしてその1カ月後、やはり円山店はもう続けられないという結果になり、諦めた。

お客さんも皆ショックを受けていて、さらにまたそれが辛かった。


最終営業終了後のあの全てを失った喪失感は今でも忘れない。店中の傷全部に思い出があり愛おしくて、離れたくなくて、家がどこかもわからなくなって一晩中泣きながら車で徘徊したな。笑

私の商売人生の中で円山店の移転は本当に大きな出来事でした。社会人経験がない私にとって多くの事を学ばせてもらった店。

失ったのではなく、約5年あんな素敵な建物で店をやらせてもらった事に今は本当に感謝している。

つづく

このペースだと連載終わらなそうなので巻いていきます!笑

冬。円山ではとにかく冬が辛かった。

どうしてこんな場所で店なんかやっているんだろうと、ハゲるくらい悩み、考え、しまいに除雪機をプレゼントするという詐欺師(?)にも騙されかけた。苦笑

空腹で雪かきしすぎて吐いたりもしていた。笑

  
寒いし、お客さんが来ないし、暖房費はめちゃくちゃかかるし、その上、毎晩の水落とし作業。一箇所でも忘れたら、次の日凍結で3万くらい飛ぶし、本当に毎日不安でしかなかった。

1年目は知らない事だらけ。ツララなんて自然に落ちるだろうと放置してたらだんだん内側に丸まって窓ガラスにぶっ刺さって、朝来たらガラスが割れていたり、水落とし失敗して水浸しになったり、北国で商売していく過酷さを学んだ。
   

    

そんな時2009年、突然やってきたスタッフ体阿弥(タイアミ)さん。 

 彼女は、本気で仕事してみたいんです。夢中に何かをやってみたいんです。何かのプロになりたいんです。でもそれが何なのか今はまだわからないんです。ここに面接来る前は悩んでて仏壇屋にも面接に行きました。あ、ちなみにコーヒーは飲めません。初めて会った時そう言っていた。

正直、若くて責任感なさそうに見えたから、全然期待はしていなかったが、それは運命の出会いだった。

  不安で嫌で仕方なかった雪かきも、仕事で汗かくなんて幸せですね!!!と嫌な顔一つ見せず張り切ってやってくれた。 

 店内も外みたいで寒いけど、空気がキレイ!!!朝来たら爽やかな気持ちで掃除が楽しい!と、どんな仕事でも誰も見ていないのにすごく楽しそうにやってくれた。(2日酔いの日以外は)

お客さんにコーヒー美味しいと言われるのは嬉しい!接客は楽しい!と、とにかくいつも笑顔でポジティブ。

本気でぶつかり合う事もあったけど、だいたい毎日顔合わせて、くだらない話ばかりしてた。

大物オーラ出してる人なんて偽物だよね、本当にすごい人はオーラすら隠してるよねとか、嘘をつかず本気で店をやっていくという事、好きな事して食べていくという事、ブラウンブックスカフェが目指している方向性、接客とか、珈琲とは、自分達が読んだ本について…etc、とにかく真剣に、本当にバカみたいに毎日熱く語り合っていた。

デメリットばかりの不便な店に不安そうにやってきたお客さんを必ず大ファンにさせた。私が、そしてお客さんが求める”ブラウンブックスカフェの店員”をプロフェッショナルとして4年間を全うした体阿弥さん。

夏は、カフェテラス席を作ろう!と、庭の開墾から始めた。汗だくで大きな石を運んでずらして草むしったり。まるで奴隷のような仕事内容も一緒にやれば楽しかった。お客さんも皆通りがかりに手伝っくれた。動物も虫も大好きな体阿弥さん。(私は両方苦手)

   
 

夏は店内にハチが大量発生した時期も、「あ、刺さないから大丈夫ですよー」って普通に案内して、お客さんも怖がりながらもコーヒーを飲んでいってくれたり。笑

そうしているうちに春夏秋冬と季節がすぎ、私も店に対して徐々に不安が薄れてきこの建物と共存していく季節ごとのコツを習得していった。

どんな事があってどんなに大雪で猛吹雪でお客さんが来なくても店は1日も休まなかった。当たり前だが1番大事な事だと思う。
ハプニングが起これば起こるほど、乗り越えた時の感動と達成感で、どんどんこの建物が好きになり、一生おばあちゃんになってもここで店をやっていたいと思っていた。  

 
それと同時に矛盾するようだけど、まだまだ沢山失敗して挑戦してみたい、海外買い付けの夢は諦めるのか、とも考えていて自分の中で少し葛藤していた。

 

 そうして気がついたら5回目の冬を乗り越えようとしていた時、もしかするともうこれ以上ここで店は続けられなくなる、という話が出てきた。
つづく

「私も趣味でこんな店やりたいわぁ」って何度もお客さんに言われた。

趣味じゃねぇよ!!!!毎日が命がけだよ!!!!って心の中でいつもブチ切れていましたが(笑)、今考えるとそう思われていたのはある意味カフェとして成功だと思う。そう思われるべき存在なのが喫茶店でありカフェだと思う。

  

はぁ…

この写真を見るだけで、言葉が出てこなくて、ブログもなかなか書けませんでした。深いため息と同時に、でもだからこそ今があるんだと確信する。

 

最初は売上げがなさすぎて、安くしてくれた家賃も払えなそうだったので、バイトを2つしていた。焙煎元とすすきののソウルバー。

開店して数日間は大好きなヒップホップを大音量でかけていたけど、雰囲気が合わなくて渋々諦め、でもBGMは絶対ブラックミュージック!と決めた。コーヒーは有機栽培豆をネルドリップで1杯¥600、そして家中の本を全て並べた。

全国で有名な喫茶店”森彦”の真向かいに店を出したのも、もともと喫茶店や飲食店よりも自分は物を売る方が好きだったので、サッポロ珈琲館時代と同様、豆売りメインにして、もしたまにここで飲みたいと言われたら2階に案内しよう。

しかし、その考えが甘かった。駐車場もないのに次から次と車で来るお客さんは皆カフェ利用したいとの事。ご近所から怒鳴り込みの苦情がきた。

しかも1番の難題は2階のカフェスペースに行く階段が外階段。

1階でコーヒー淹れて外出て2階に運ばなければいけなかった。しかもコーヒーを出したら店員は1階に戻るので、知らないお客さん同士が近距離で密室に閉じ込められるというシステム。

しかもなんと言っても寒い!!!!!

もう言葉で表現できないぐらい不便すぎた。隠れ家って完全に隠れきっちゃってるし!売上げ上げたいのに、せっかく人が来ても駐車場ないとか、2階見るだけ見て写真撮るだけ撮って、皆次々と帰っていった。自分は何のために店をやっているのか、帰って行くお客さんの背中を見ながら途方に暮れていた。

お先真っ暗で毎日、どうしよう、こんな店あり得ない、問題だらけだ、ご近所には存在自体が迷惑なんだ…と落ち込みながらも、もう開き直るしかなく、不便を売りにしよう!と決意。笑

”不便な店です”

”8席しかありません”

”コーヒー運ぶのに時間がかかります”

”禁煙です”

”寒いです”

”相席させて頂きます”

”駐車場はありません”

とマイナスを売りにしまくった。笑

それでも次々と来てくれたお客様にとって一体何が魅力だったのかと言うと、当時札幌ではまだブックカフェというのが一般的に知られていなかった事。取材とかで「なぜ本とコーヒーなんですか?」とよく聞かれた。

そして最大の魅力は建物。

どんなに一生懸命やろうがカフェなんて潰れる率NO.1。最初なんて中身空っぽ。惹きつけられるのは建物だけだったと思う。

  
ホームページの写真を見て、新潮文庫のシャーロックホームズの装丁を手掛けた東京の玉浦さんから突然電話がきて、図案展をうちの店でやる事になった。初めてのイベントで前日は徹夜しかなりテンパったがいい思い出。(仕事ができなかったので徹夜すればいいと思っていた)

デメリットだらけでも、なんとか毎日、不可能を可能にしようというモットーで、問題1つ1つを工夫して解決していった。この経験はものすごく役立った。

あと、スタッフには、昔ポスティングしたチラシを見て出会った豊永さんとホームページをお願いしていた山田さんという一回り以上歳上の方、2人が時々店番してくれていた。

少しづつ忙しくなり、土日働けるスタッフを入れようとブログで告知し、1番最初に電話をくれたまゆちゃんという子が面接に来た。もちろん初めての面接で、何を聞いたらいいのかわからず、近所に住んでいるから交通費がかからないと、その場で即採用。笑

少し体が弱かった為、より体力とやる気に満ち溢れた人が必要だった。

そんな時、突如現れた、体阿弥さん。色んな人によってうちの店は作られたが、ブラウンブックスカフェはこの人なしでは語れない!

つづく

円山のあの物件と出会ったいきさつ。

19歳の時、無印良品のバイト先で出会い、生意気だった私を可愛がってくれたひとまわり上のIさん。実家が東京だったので、お店やりたいなら案内してあげる、と実家に泊まらせてもらい、自由が丘や代官山や吉祥寺の雑貨屋、カフェ、本屋を巡った。25歳までにはお店をやろうと決めていた私にとっては衝撃的だった。

そんなIさんの旦那さんが、2007年に土地を買い、古い納屋があるからコーヒー屋をやらないか?と誘われた。

見に行くとそこは札幌一人気で有名な喫茶的「森彦」の真向かい。しかも車一台ギリギリ通れるかの細い道、そこを更に曲がったじゃり道の突き当りにその建物はぽつんと建っていた。

「はぁ?なにここ!?」即断った。

こんなところで商売成り立つわけがない!しかもそこは1階が茶室をイメージした「月庵」というギャラリー、2階はデザイナーさんの事務所だった。

それでもIさんの奥さんは、何度もさそってきた。しかも家賃格安でいいよ、チャンスだよ、将来のバネとして何年かでもやってみれば?と言ってきた。

確かに安い。安いけど家賃払えるほど売り上げがたつのか。悩んだが、実際、貯金できない私は所持金10万しかなかったので選択の余地がなかった。

周りは大反対したが、何か新しい事やる時ってだいたい周りは反対するもんだから無視。笑 自分がどれほどやりたいか試されてるんだと思ってる。

やる!と決意し、住む場所も隣のアパートの一部屋を1万円で貸してくれる事になったので、まずは自分の部屋を改装。ど素人が、誰かに聞いたり手伝ってもらいながら壁をぶち抜き真っ白に塗装し、床にベニアを張り、引っ越した。

引っ越したら、、、天井はネズミの走る音…。下の方はいつも歌っている…太鼓も結構上手。笑

湯沸し器もなくシャワーも壊れいて、水しかでない、殺人現場っぽい風呂場だけは費用がなくそのまんま。

多分2,3カ月ぐらい、自宅改装、引っ越し、店改装、豆配達、焙煎元でアルバイト。本当に過酷な日々だった。笑

店も家も色々問題だらけ。でも持ち前のポジティブさで、風呂なんてなくても水ぶっかければいいさ!店に冷蔵庫置く場所ない?外におけばいいや!ストーブないけど厚着すれば大丈夫!!!

自分でテーマを決めた。

「不可能を可能にする」

本気で思っていた。私ならできる!と。

入り口のドアもストーブもないまま2007年9月20日OPEN。

徹夜でフラフラ、朝から雨。土砂降りだった。開店できた達成感よりも、疲れすぎていて超ネガティブになっていた。この先やっていけるのか、家賃払えるのか、ノリで(!?)頼んでしまった職人さんによる桜の木に珈琲を染めして後払いにしてもらった40万の什器代は払えるのか、不安の中、次々届く花…。やばい。やばい事を始めてしまった。
やっと念願のゼロから自分で作り上げた店がオープン、それはゴールではなくスタートだった。好きな事をしているから、誰のせいにもできない、言い訳も後戻りもできない、過酷な日々のスタートでしかなかった。
 もう顔が引きつっている↑笑

   before

  after

そして、いざお湯がでない風呂で、30°C超えた日に勇気をふりしぼって懺悔みたいに水ぶっかけたら「ギィヤァーーーー!!!!!!!!」と泣き叫び、家はあっさり1か月で断念。どこかに引っ越したかは覚えてない。笑
つづく